九月廿四日(日)甲寅(舊八月五日 曇り一時晴

 

今日の讀書・・昨日は一日寢轉がつてゐたので、今日は出歩いてきました。一應目的はいくつか定めてはゐますが、やはり古本市がてごろなので、高圓寺の西部古書會館を訪ねました。 

毎週のやうに出かけてゐると、賣れ殘つたものが目につくことがままあるんですが、總入れ替へのときもあつて、「会場にはウブ荷多数出品」の標語に違はず、ウハウハするくらゐ掘出し物に巡り逢ふときがあります。今日などもその「ウブ荷」の中から、文庫本より小さな和本、爲永春水(註一)の 「いろは文庫」(註二) を見つけました。内容は「忠臣藏」です。市古貞次編『日本文学史年表』 にも載つてゐるくらゐですから、でたらめな本ではなささうです。その序文によれば・・。

 

「・・・ 今ここに著す所の以呂波文庫は、さらに巧拙の論を待ず。世にしられたる忠臣の銘々傳なれば、いまだやうやくいろはを覺へし児女童幼も、其忠烈を見て俄然と睡を醒さんと思ふのみ 干時天保申年如月 義名再三輝くの月 江戸 爲永春水老人誌」 (「今日の寫眞」參考)

 

と書かれてありまして、大の大人のぼくが讀めなくては恥ずかしいといふことでせう。 

ところが、その春水は、「人情本の内容が淫らであるとして、北町奉行遠山景元の取り調べを受け、手鎖50日の刑を受けた」さうです。そして、「それを苦に深酒して強度の神経症となり、翌1843年(天保14年)の暮れに没し」てゐます。享年五十四歳でした。

 

さういへば、戰前のことですが、『源氏物語』 が、内容が淫らであり、皇室を愚弄してゐるとして發禁處分になつたことを、どれだけの人がご存じでせうか。そんな時代に戻したいと躍起になつてゐる「アベ政治を許さない!」と叫ぶのは、大人氣ないことでせうか。ぼくは聲を大にして申し上げたい!

 

さて、歸路、と言つても、まだ晝を過ぎたばかりですが、吉祥寺驛から中央・總武線で新小岩驛にもどり、さらに京成バスに乘り換へて、澁江公園下車。そこから立石圖書館は徒歩數分。ところが、今日は日曜日だつたんですね。閲覧室は滿席状態でした。 

それでも、女子學生と男子學生のあひだに席を見つけ、二時間ばかり、いい氣分で 『源氏物語〈葵〉』 を讀み進むことができました。例の、源氏と美少女紫の上(この時十四歳)との桃色遊戯の場面です。 

 

註一・・爲永春水 17901843(寛政2天保14) 【人情本作者】 人情本が町娘に大人気。 ラブストーリーのベストセラー作家。人情本作者。江戸出身。式亭三馬に入門し、1832年刊の人情本『春色梅児誉美』で人気を得た。ストーリー性より多くの甘美な恋愛場面描写を重視し、若い女性から人気を博した。自身が為永流と呼ぶ、門人を多数動員しての合作で、人情本を量産した。天保の改革により、天保の改革で風俗を乱したとして罰せられ、翌、1843年(天保14年)1222病没。享年54 

築地本願寺中の妙善寺で葬儀を執り行い、墓は世田谷区烏山五丁目の妙善寺にある。

 

註二・・『いろは文庫』 人情本。一八編五四冊。為永春水作。渓斎英泉ほか画。天保7年~明治5年(183672)刊。『仮名手本忠臣蔵』 をもとに、赤穂義士外伝を人情本的に脚色したもの。作中人物の会話はすべて江戸末期の口語。 

 

今日の寫眞・・「本音のコラム」二題。それと、今朝剪定した塀の蔦(剪定前)。 

 爲永春水編輯 『正史實傳 いろは文庫』 の序の部分。