九月廿八日(木)戊午(舊八月九日・上弦 雨降つたりやんだり

 

今日は敬老會でした。後れ馳せながらの町内會行事でしたけれども、もちろんお呼ばれされたのは、この八月で九十四歳になつた母だけです。七十ではまだ老人とはみなされないやうなのであります。 

ところでであります。今朝、そのために母はおよそ二時間、鏡の前で何ごとか顔やら頭などをいぢくつてをりました。それを妻が報告してくれたのですが、ぼくは、思はず妻の顔と頭を見てしまひました。 

なぜかならば、おそらく、妻は、七十になんなんとしてゐる人生のうち、鏡に向かつたのは、合計しても二時間にもならないのではないでせうか。そんなことを思つたらおかしくて、へ~え、としか言へませんでした。 

いへ、これはないしよですけれど。ちかごろ、ぼくだけでなく、妻も調子をくづしてゐるやうなので、知られたらどんなことになるか知れたものではありません。 

 

今日の讀書・・「靑表紙本」で讀む 『源氏物語』 の 〈葵〉 をやつと讀了。八月四日に讀みはじめての今日ですから、約二ヶ月かかつてしまひました。 

參考書は、『日本古典文學全集』(小學館) と 『新潮日本古典集成』(新潮社) の二册。それと、小型の電子辞書。これらがなくては、たうてい讀み通せなかつたでせう。 

さうだ、二十二、三歳の源氏の君と、娘のやうに育てた十四歳の紫の上との「濡れ場」ですが、たいしたことありませんでした。お疑ひの方がをられるかも知れませんので、以下、與謝野晶子譯で寫しておきます。 

 

つれづれな源氏は西の對にばかりゐて、姫君と扁隠(へんかくし)の遊びなどをして日を暮らした。相手の姫君のすぐれた藝術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のやうに愛撫して滿足ができた過去とは違つて、愛すれば愛するほど加はつてくる惱ましさは堪へられないものになつて、心苦しい處置を源氏は取つた。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違つて見えることもなかつたのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があつた。女房たちは、 

 「どうしてお寝やすみになつたままなのでせう。御気分がお惡いのぢやないかしら」 

とも言つて心配してゐた。源氏は東の對へ行く時に硯の箱を帳臺の中へそつと入れて行つたのである。だれもそばへ出て來そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕の横にあつた。なにげなしにあけて見ると、 

〈あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴なれし中の衣を〉 

と書いてあるやうであつた。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もして見なかつたのである。 

 

さういへば、例の母ネコをあづかつたのが八月五日でしたから、〈葵〉 を讀んでゐるあひだに、子ネコが生まれ、繼子も加はり、そして去つていつた日々と重なつてゐたんですね。〈葵〉 を手に取るときには、十二匹と母ネコのことを思ひ出してあげませう。 

それとともに、藤沢周平作さんの、三册目、 『闇の梯子』 を讀み上げました。まだまだ暗い話がつづきますが、ところどころで、光明が差し込むのがうかがへます。 

 

今日の寫眞・・今日の切り抜き。二十二歳のお嬢さんのおつしやる通り。ご立派!