九月廿九日(金)己未(舊八月十日 快晴 

 

今日は、《史策會》の例會でした。例會だなんて、會議みたいな言ひ方ですが、安否を確かめあふやうな氣持ちがぼくのどこかにあるのでせう。たしかに、今回お一人が病院への通院・檢査のためにお休みになりまして、ちよいと氣がかりなウオーキングとなりました。さう言へば、前回もお一人お休みでした。それも怪我でした! 

 

さて、今日の 「盆栽村めぐり」 の言ひ出しつぺは紅一點の泉女史でありまして、お近くに住まはれる森さんの案内で散策することができました。 

JR東北本線(宇都宮線?)土呂驛改札口に一〇時集合。集まつた六人と久しぶりのあいさつを交はし、まづ、盆栽村探訪にふさはしく、「土呂駅開業の頃造られた大きな盆栽」の前で記念撮影。その後、大宮驛まで歩き通しました。すでに秋をもよほす靑い空がひろがつてをりまして、心も解き放たれるやうでありました。

 

最初は、〈盆栽美術館〉。「世界初の公立盆栽美術館」と銘打つてあるとおりのすばらしさでした。ご隠居趣味のものではなく、もう美術品なのでありますね。それだけに、その價値たるや、値段がつけられないほど高價なものだといふことです。それだからでせうか、ほとんどが撮影禁止でございました! ネットで無斷に賣買されないためのやうでもあります! 

 

さて、つづいては、〈蔓青園〉と〈藤樹園〉といふ盆栽園です。ここも、美術館なみにすばらしい作品が並んでをりました。同じく撮影禁止でしたが、値段がつけられてゐたので、なかにはぼくでも買へさうなのがありました。總じて、針葉樹よりも雑木盆栽のはうが、ぼくの趣味にはかなつてゐるかなあと思つたしだいでありました。

 

それと、なぜこんなところに、と思はれる、〈市立漫画会館〉に入りました(註)。現在、企畫漫畫展 「ギャグ漫画の殿堂 赤塚不二夫展」 が開催されてゐて、なんだか、バカボンとか、シェーのおつさんを見にきたやうな氣持ちになつてしまひました。ちなみに、「『おそ松くん』や『天才バカボン』などの人気作品の複製原画及び「のらガキ」の原画、写真など98点」が、ところせましと展示されてゐました。 

 

そろそろお晝になりまして、〈護国神社〉を經て、〈埼玉県立歴史と民俗の博物館〉にやつてまゐりました。鬱蒼とまではいきませんが、この公園には樹木が多く、心が癒されますねえ。そのあふれんばかりの緑を前にして、建物の中二階にあるカフェのベランダで晝食をいただきました。ちいさな賣店で、ぼくはカレーライスを注文しましたが、つづいてたのんだ人が、ごはんがなくなつたからできませんと言はれたのには、ラッキーであり、氣の毒でもあり、でもおいしくいただきました。

 

ところが、館内は見學せずに、ここが自由でいいところですね、氷川神社にいそぎました。二〇一三年の春、《中仙道を歩く》で、みなさんと通つたところであり、ぼくはちやうどこの頃から、くづし字を學びはじめたので、記念すべき神社でもあります。

 

そこで、地元の森さんが導いてくれたのが、神社のわき深い木立のなかにある、蛇の池でした。じつは、その手前に湧水があり、これがまたきれいに澄んだ水で、まさか水道水ではないでせうね、と疑ひたくなるやうな、まはりにくらべて高い場所から出てゐるんです。はたして・・・? 

 

さて、フィナーレ、の前に、〈さいたま市立博物館〉に立ち寄つて、ちよいとは歴史のお勉強。そして、雑踏を分け入つて森さんご指定のサイゼリアへ。慰勞會といふか會食といふか、飲んで食べて、次回の豫定をたてるのみであります。生ビールにワイン、ピザやウインナ、エスカルゴまでありましたが、あまりにもお安いので、おほいに驚きました。 

で、次回は、甲斐さんの立案で、題して、「橋と櫻をめぐる隅田川」 といふ散策に決まりました。ただ、一度では濟まないやうなので、二週にわけて行ふことになりました。 

さう、歸宅したら、今日の全歩數は、一三九〇〇歩でした。 

 

註・・「漫画会館は、日本近代風刺漫画の祖である北沢楽天(きたざわ らくてん)の晩年の邸宅跡地に、漫画を文化として育てていくことを目的として、昭和411966)年にできた日本初の漫画に関する美術館です。 

北沢楽天は、明治9年に大宮宿(現在の大宮区)で生まれ、本名は保次(やすじ)と言います。外国人向けの英字新聞社で西洋漫画の手法を学び、「時事漫画」や日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊し、明治から昭和にわたり、庶民の生活や世相をユーモラスな漫画で表現し、日本の職業漫画家第1号として活躍しました。〔生18761955 

 

今日の寫眞・・土呂驛前にて。撮影可の盆栽と「盆栽美術館」横の盆栽賣店にて。漫画會館のシェーのおつさん。大宮公園のベンチにて、網走旅行の森さんのおみやげをいただく。サイゼリアにて。