二〇一七年十月(神無月)一日(日)辛酉(舊八月十二日 晴のち曇り

 

今日の讀書・・昨日求めた、渡邊一夫先生の 『知識人の抗議』 を讀みかじつてみました。濃厚すぎてすらすらとはいきません。が、つぎに引用したところなど、投票を前にしたぼくたちが今すぐに噛みしめなければならない言葉だと思ひました。 

 

「無智や無關心の故に一人の危険的人物の登場を許したら、その人物の冒す一切の暴力を豫め許すものと申さねばなりません。これは現代の社會機構では必須でありながら、また判りきつたことでありますが、なかなか判りきれないことでもあります。」 

 

と、そこで、一九三六年に、ナチス・ドイツやファッショ・イタリヤの後援のもとに行はれたフランコ將軍の叛亂の際に、(ヘミングウエイの 『誰がために鐘は鳴る』 はまさにこの叛亂が舞臺でしたが)、トーマス・マンが語つた言葉を引用してゐるのですが、それがすごい! 

 

「『私は政治などどうでもかまはぬ』と公言する人々(の・・)、かういふ態度は、精神の無智を證據立てる以上に、倫理的無關心をも證據立てる。政治的社会的認識は、人間の營みの全體の一部分である。それは人間の課題、人間の義務の一樣相にすぎない。しかし何びとも、これを蔑(ないがし)ろにしたら、必ずさうすることによつて、人類に對して罪を犯すことになるのである」。 

 

どんな人物に投票するか、まかり間違へば、「人類に對して罪を犯すことになる」のです、と言ふ。ぼくは、これは、人類が歩んできた歴史に對する無知と冒瀆であると理解しました。はたして、そんな切迫した思ひを懐いて、どれだけの人が投票所に向かふのでせうか。 

ちなみに、本書は一九四九年(昭和二十四年)に出版された初版本です。ぼくがまだ二歳の敗戰直後ですから、太平洋戰爭への反省の言葉と讀んでも間違ひないでせう。 

少數の政治家・軍人らの思惑によつて、日本國全住民が多大な犠牲を強いられたとはよく言はれることであります。ところが、それは、彼らの尻馬にのつて、戰爭を讃美して追從した「精神の無智、倫理的無關心」者らの責任でもあることを忘れてはならないとぼくは強調したいのであります。

 

まあ、もうじき死んでしまふ者がいきり立つことはないのかも知れませんが、ぼくは、倒れるその瞬間まで、自分の良心と自分が學びつつ歩んできた人生と、それにぼくにそんな人生をあたへてくれた永遠なる方の前に恥じない生き方をして終りたい。 

 

註・・渡辺一夫(19011975) 仏文学者、評論家。東京大学名誉教授、学士院会員。東京生まれ。東京帝国大学仏文科卒業。旧制東京高等学校教授を経て1962年退官まで東大文学部でフランス文学を講じた。ラブレーやエラスムスの翻訳、研究、およびルネサンス・ユマニスム研究に画期的業績をあげる一方、太平洋戦争の前後を通じてユマニスムの根源に分け入ることによって得られた深い学識と透徹した批評眼をもって日本社会のゆがみを批判した。とくに寛容と平和と絶えざる自己検討の必要を説き、狂乱の時代に節操を堅持した知識人として若い世代に深い感銘を与えた。『ラブレー研究序説』『フランス・ユマニスムの成立』『フランス・ルネサンスの人々』『狂気についてなど』『まぼろし雑記』など多数の著書の主要部分は『渡辺一夫著作集』増補版全14巻(197677・筑摩書房)に収められている。 

 

今日の寫眞・・今日の新聞切り抜き。ぼくの考へを代辯していただいた内容です。それと、渡邊一夫先生の肖像。