十月七日(土)丁卯(舊八月十八日 雨のち曇天ときに晴

 

今日の讀書・・學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 も第三回を迎へました。春の講座から數へれば、通算十三回目になります。 

『源氏物語』 〈桐壺〉の卷、「靑表紙本」で、六〇頁から六六頁まで讀み進みました。先生のお話を聞くだけでなく、質問や意見なども出されて、けつこう活發な講義でありまして、いよいよ面白くなつてまゐりました。

 

源氏十二歳の加冠の儀式がすみ、「そひふし」(妻) となる葵の上の家、つまり左大臣家の婿となるところまででした。 

ご意見が出たのは、その場面で、左大臣は娘の葵の上を、なぜ春宮に差し出さなかつたのかといふものでした。生れ出る天皇の外戚となることによつて時の政治權力をにぎるのであれば、臣籍降下した源氏などよりも、仲の良くない右大臣の孫ではありますけれど、現春宮のもとにやれば、かならず次期天皇の外戚になれるわけで、このことに關して意見がわかれたのであります。

 

ぼくは、これは左大臣が源氏に惚れこんだからであり、物語としての設定としての必然であることは間違ひないでせう、と發言しました。 

でも、この時葵の上は源氏より四歳上、藤壺は五歳上、であるならば、戀慕ふ藤壺のことが念頭から離れないのもいたしかたないでありませう。まあ、もてる男はつらい。つらいのは寅さんばかりではないのであります。 

 

ところで、お節介だとは思ひましたが、講義を受けてゐるみなさんに 靑表紙本」 の 『源氏物語』 の分册を差し上げました。全册まとめて購入したので、それまでに買ひ求めてあつた端本が、それもちやうど八册あつたのでプレゼントしたのですが、さうしたら、先生、「では、くづし字(變體假名)のお勉強もしませうかしら」とおつしやつてくれまして、獨學のぼくには干天の慈雨のごとく感ぜられたしだいであります。 

 

また、午前中、神保町の古書會館を訪ねまして、そこで、一條兼良さんの 『花鳥餘情』 を、それも五十嵐書店さんの出品で、居合はせたご主人にも挨拶できたんですけれど、その棚の並んだ中にその背中の文字を見つけまして、まづ先に手がでました。胸が、どつくんと鳴つたかも知れません。長いこと探してゐた參考書だつたからであります。 

それを、講義後、先生に話し、かつラヂオの番組で聞いたからだと申し上げましたら、その講師は誰かと聞かれて、突然で思ひ出せませんでした。そこで、歸宅してから、その時の日記を呼び出しましたので、以下に引用いたします。 

 

二〇一七年二月五日(日)・・ゆうべは早く寢たので、今朝六時過ぎには目が覺めました。トイレに行き、體重と血壓と酸素量をはかつてベッドに戻つて氣がつくと、日曜日の朝でした。さうだと思ひ、久しぶりに、NHKラヂオ第二をつけました。やつてゐました。《古典講讀》です。 

『宇治拾遺物語』 の第一七〇話 「慈覺大師、纐纈城に入り給ふ事」 の途中から聞きはじめ、第一七一話 「渡天の僧、穴に入る事」 と、第一七二話 「寂昭上人、鉢を飛ばす事」 の三話を聞きました。加賀美幸子アナウンサーの朗讀は聞きやすく、心ときめくおはなしは伊東玉美先生。一度か二度でもお會ひしたいものです。

 

なんて聞き流してゐたら、つづいて、《こころをよむ》といふ番組にかはり、それがまた、「源氏物語に学ぶ十三の知恵」といふ主題なのであります。講師は、お名前だけは知つてゐる、島内景二先生で、今朝の題は、「『和』の精神で楽しく生きる」。 

── 今回のキーワードは「和」。「和」の精神とは何か、というところを源氏物語から学びたい。源氏物語の主題が「和」であるという、驚くべき発見をしたのは、15世紀に活躍した一条兼良(いちじょう かねら、かねよし)という人物である。一条兼良が著した源氏物語の注釈書 『花鳥余情(かちょうよせい)』 を取り上げ、「和」の力で人生を楽しく生きることについて考える。 ──

 

いやあ、横になつて聞いてゐましたが、あれこれメモしはじめたら、正座をしてゐました。一條兼良さんは、「中仙道を歩く」にもたびたび登場していただいたおなじみの方ですが、たいへんな知識人なんですね。 

『源氏物語』は、それを書いた紫式部以來、今日までに五人の學者によつて、その解釋が變へられたといふか、その思想がより深められてきたさうです。まづ、藤原定家、つづいて四辻善成、そのつぎに一條兼良がゐて、さらに北村季吟に本居宣長。最後はアーサー・ウェイリーだといふ島内先生のお話であります。 

定家と兼良と季吟と宣長については多少なりとも知つてゐましたが、アーサー・ウェイリーさんは英譯者であるとだけしか知りませんでしたし、四辻善成なんてだれなんでせうか。また課題が増えてしまひさうです。 

さう、ウェイリーさんは來日せずして譯したやうなんです。それは、「日本に幻滅したくなかったからだ」との憶測が語られてゐるやうですが、また、老子の 「戸を出でずして天下を知り、窓を窺わずして、天道を見る」 との敎へを實践したともいはれてゐます。

 

以上、長い日記でした。が、このときには、學習院さくらアカデミーも、《源氏物語をよむ》 といふ講義があることも知りませんでしたから、『蜻蛉日記』、『一條攝政集』、『宇津保物語 俊蔭卷』、『落窪物語』 につづいて、『枕草子』 にするか 『源氏物語』 にするかを考へてゐたところだつたので、やはり、この時に至つて、『源氏物語』 を讀むべく導かれ、必然があつたのだなあと思はざるを得ませんです。はい。 

また、講義後、高圓寺にも立ち寄りまして、新小岩驛經由で歸つてきました。 

 

今日の寫眞・・東京古書會館のレジと即賣會場への入口付近。會場内は撮影禁止ですが、許可を得て撮ることができました。それと、今日の掘出しものの、『源氏物語古注集成1 松永本 花鳥餘情』(桜楓社)。