十月十一日(水)辛未(舊八月廿二日 曇天

 

今日の讀書・・阿部光子著 『悪霊の左大臣』 (新潮社)を、一日かかつて讀み通してしまひました。讀み應へがありました。じつに濃厚です。 

永井路子さんの 平安朝三部作と呼ばれる、『王朝序曲』 と 『この世をば』 と 『望みしは何ぞ』 を大河小説とするならば、これは、著者があとがきで書いてゐるやうに、「悪霊の左大臣家の人々」をめぐる、ほぼ一代きりの物語であります。 

「悪霊になった父(藤原顕光)を持つ承香殿の女御(元子)と、王朝三大悪霊の悪霊になった条件を一身に負いながら、悪霊にはならなかった源高明を祖父とする宮の中将源頼定との間に、燃上った恋」にひかれた著者渾身の作でありまして、ぼくも論文を讀むやうに一字一句に氣を入れて讀みました。ちなみに、賴定さんは、ぼくの持つてゐる 『大日本人名辭書』 にも、『日本歴史大事典』 にも記載されてをりません。

 

まづ、附録の 「『悪霊の左大臣』略系図」 をかたはらに、出てくる人物一人一人をその中にたしかめながら、書かれてゐない人については補足しながらの作業でしたから、しまひに汗が流れてきました。でも、當時の人間關係がよくわかつてきました。なにしろ、登場人物すべてがなんらかの血がつながつてゐる、濃い關係であることです。「系圖」の深い讀み方を敎へられた氣がしました。

 

時代は、安和の變以後の源高明一族をベースに、中關白家の没落、そして、大殿(道長)の榮華の果てにいたるまでを、物語といふより、登場人物たちの述懐として語られていきます。ですから、そのかたわらで聞いてゐるやうな錯覚におちいる感じがするほどで、いままで知らなかつたたくさんの人物と親しくなりました。

 

『小右記』、『權記』、『御堂關白記』 はじめ、『大鏡』、『榮華物語』、『枕草子』、『紫式部日記』 などに 「忠実にしたがって物語を展開したかったので仕事は遅々として進まなかった」 と、著者が言つてゐるやうに、讀んでゐると、新しい事實に氣づかされ、目からウロコが何枚も何枚も落ちるやうな出來事に遭遇しました。

 

「皇后(禎子内親王)の御子であり、三条院の孫である(母は道長の娘妍子)、後の後三条天皇がすくすくと育っていられたのであった。この皇子は、嬉子(道長の娘)の遺した東宮(後の後冷泉天皇)の弟宮として、そのあとに続いて即位した。そして、外祖父であれば関白もこわいが、ゆかりのない自分は何とも思わぬぞと宣言して、具平親王の子である源師房を用いて、政治の改革を行ったのであった。この底力は、一体、いつ誰が育んだものであろうか」。

 

これは、エピローグで語られる一節です。(・・・)内はぼくが補足しましたが、後三条天皇から白河天皇がうまれて、まさに時代を畫する人物たちの登場場面です。「具平親王の子である源師房」が何故ここで出てくるのかを考へただけで、一つの論文か書物が書けてしまふのではないでせうか。ちよいとわかつたのは、源師房は、天皇家とともに、源高明の血を引く家系の人物なんです。そして、このことを念頭において讀みなおしたらもつとよく理解できるかも知れません。 

 

今日の寫眞・・今日は、「『悪霊の左大臣』略系図」 だけにしておきませう。