十月十二日(木)壬申(舊八月廿三日・下弦 晴、暑い

 

昨日は根を詰めすぎました。それで、どうしやうかと思ひましたが、明日から天氣がくづれるといふので、今日も出歩いてきました。《東京散歩 じゆんの一歩一會》 その第十四回目です。 

まづは、ガイドブック 『東京山手・下町散歩』(昭文社) による 《東京散歩》。〈コース番號14〉です。コース名と内容にはかうあります。

 

「街道を歩く 日光街道・千住大橋 三ノ輪駅~北千住駅 南千住から隅田川を渡り、北千住まで日光街道を歩く。日光街道の旧道をたどるコースで、小塚ッ原刑場跡など、史跡も多い。また 『奥の細道』 に旅立った地として、芭蕉の石像がある。〔所要〕2時間」。 

じつは、このコースはもうすでに何回も歩いたことのある街道なので、ぼくなりに取捨選擇をしながら歩きました。

 

北千住驛西口を一〇時三五分に出發。それでも、まづはじめに、舊街道沿ひに建つ千住宿本陣跡の石碑の前に立ちました。石碑といつたつてぼくの腰ほどの小さな石柱で、商店街の雑踏のなかに埋もれてしまつたやうな存在です。 

南北に走る千住仲町商店街が舊日光街道。かつて、《日光街道を歩く》 で通つたのをはじめとして、さう、昨年の三月には、水戸街道を歩く準備として、日光街道との分岐點を確認しに來たのでした。そのときにも歩いたその舊街道を南に、江戸に向かつて歩きはじめました。

 

問屋場の貫目改所や、一里塚跡と高札場跡の碑などを過ぎ、京成電車のガードをくぐると、左手に芭蕉の石像が建つ元やつちや場。千住大橋のたもとに、「松尾芭蕉 奥の細道 矢立初の碑」。 

そして、今日は道をそれて、近くの橋戸稲荷神社を訪ねました。すると、社殿の前に白狐の鏝絵が飾られてゐたのでよく見ると、伊豆長八の鏝繪(こてゑ)ではありませんか。本物は土藏造りの本殿のなかで、これはレプリカでしたが、まさかここで、伊豆の長八に出會へるとは思ひもしませんでした。たしかに《一歩一會》でありました。

 

大橋を難なくわたり、素盞雄神社は今回はパスだななんて思つてゐると、間口二間ばかりのお寺の門、といふか駐車場みたいな入口があつたので入つていくと、木々が生ひ茂る中に、「狸獸墓」と彫られた墓石が目に入りました。すると横からお掃除してゐたおばさんが、「それね、けつこう有名なんですよ」と聲をかけてきたんで、まさか化け狸か、なんて思ひませんでしたけれど、いやはや珍しい墓石があつたものです。そこは誓願寺といふお寺で、境内にあつた「狸獣墓」は、親の仇討ちをしたといふ子狸の傳承を殘す狸塚でした。

 

素盞雄神社は有名ですけれど、斷固パスです。昨年訪ねたときには、境内に入るや否や、どう見ても「未婚の少女」とは言へない巫女さんがそばにきて、「時間ですから出てください」と言はれたのにはびつくりしました。今まで、神社で追ひ出されたことはありませんでした。 

それでパス。時間を稼いで、ここから三ノ輪まで歩くのは初めてだなと思ひつつ歩いていくと、なんか見たことがあるなと思ひきや、先日訪ねた圓通寺ではありませんか。さうでした、その時は寄り道したのでしたが、今回のコースに盛り込まれてゐたのです。でもせつかくですからもう一度中に入り、休憩がてら、傷ついた黑門のそばで歴史の重さをかみしめたのでありました。

 

さて、ラストスパートです。ガイドブックでは、街道をそれ、南千住仲通りを經て、小塚ッ原刑場跡と南千住驛前の芭蕉像を訪ねるやうですけれど、ぼくは何度も行つたことがあるのでショートカットし、JR常磐線のガードをくぐり、すぐ淨閑寺に向かひました。本堂の裏手にある「新吉原總靈塔」と「荷風記念碑」を訪ねるためです。ここは何度來ても胸が焼かれる思ひがいたします。時代小説の遊女たちは虚構ですが、死んだ遊女たちがこのお寺に投げ込まれたのは歴史的事實であります。せめて獻花が絶えないのが慰めでせうか。

 

最後の最後は、永久寺・目黄不動尊です。淨閑寺からより、地下鐡日比谷線三ノ輪驛の出口から數十歩といつた近いところに發見です。ゴールの驛よりちよいとオーバーしてしまひましたが、これは寄り道としておきませう。それにしても、すでに目黒と目赤のお不動さんを訪ねましたから、できれば、江戸五色不動をすべてめぐりたいと思つてはゐるんですが、これでやつと三つ目。あと、目白に目靑。所在地を確かめましたので、近々訪ねてみませう。 

これで、〈コース番號14〉の散歩が終了しました。正味五八五〇歩でした。

 

歸路、一葉記念館で古文書講座を受けたときにおぢやました店で五目焼きそばをいただき、またまた都電三ノ輪橋驛から歸つてまゐりました。 

 

今日の寫眞・・今日の「街道を歩く」より。