十月十四日(土)甲戌(舊八月廿五日 曇天ところにより小雨

 

今日の讀書・・今日は土曜日、學習院さくらアカデミーの日です。《源氏物語をよむ》、今日で「桐壺」の卷が終はります。ですから休むわけにはいきません。 

でも、ついでですから、行きには目白不動尊、歸りには目靑不動尊を訪ねて、積年の計畫を果たすことができました。 

目白不動尊は、都電の學習院下驛から、東に二、三分のところにあつて、まるで燈臺下暗しでした。その墓地には、また丸橋忠弥の墓がありまして、いきなりその時代に關心が向けられました(註)。 

大學は、學習院下驛から明治通りを越えて西に向かひ、構内の山道を登ると校舎にでます。坂道で息が切れたので、受講する敎室にリュックを置き、それから學食に二五〇圓ラーメンを食べにいきました。

 

さて、『源氏物語』 の講義ですが、滯りなく〈桐壺〉を讀み終へました。靑表紙本」で七〇頁、通算十四回目でした。 

前回は、源氏が葵の上と結婚し、その左大臣家の婿になつたところまででした。が、今日のところでは、新婚早々の源氏が、忘れ得ぬ人、藤壺をお慕ひするあまり、婿としての家には二、三日、藤壺がをられる内裏には五日も六日も入り浸つて、藤壺が奏でる琴などの音にあはせて笛を吹いてしまふといふご執心ぶり。どうしませう。といふところで、第一卷が閉じられました。

 

つづいて、この餘韻冷めやらぬところで、先生は、〈帚木〉の冒頭をお讀みくださつて、〈桐壺〉から〈帚木〉への續き具合がいかに不自然かといふことをお示しになり、このことから、いはゆる 《玉蔓系後記説》 についてお話くださいました。 

これは、ぼくが 『源氏物語』 に火をつけられた問題でありまして、この五月から六月にかけて讀んだ、武田宗俊さんの 『源氏物語の研究』(岩波書店。拾ひ讀みでしたが、吉岡曠さんの解説は必讀!) と、藤本泉さんの 『源氏物語の謎』(祥伝社) がものすごく刺激的でした。それだけで讀まねばと思ひましたものね。

 

まあ、それはそれとして、この説の火つけ役は和辻哲郎であります。大正時代にすでに、〈帚木〉は、先行する「源氏物語」に補足されたものではないかといふ説をたてまして、それにつづくいくつかの説が出されましたが、決定的だつたのが昭和二十九年に刊行された、武田宗俊著 『源氏物語の研究』(岩波書店) だつたのです。 

解説を書かれた吉岡曠先生によると、「桐壷卷に端を発する十七帖の物語が一篇の長編物語としてまず完成し、そこに、帚木グループの四帖と、帚木グループを構成する空蝉・夕顔・末摘花物語のそれぞれの後日譚である蓬生・関屋の二帖と玉蔓以下の十帖、計十六帖の卷々が次々に執筆挿入されて現行第一部の物語が成立した、といふのが武田説の結論である。武田氏は、それぞれの系列の特に重要な女主人公の名前を借りて、前者を紫上系の十七帖、後者を玉蔓系の十六帖と呼ぶ。」とされてゐます。(補足:吉岡曠先生は、伊東祐子先生の指導教授であられたとのことです。はい)

 

これは、ぼくの覺えとして引用しただけで、先生がお示しくださつたわけではありませんが、ぼくにはよく理解できましたので、寫しておきます。 

それと、先生が、紫上系(十七帖)は光源氏の一代記であり、玉蔓系(十六帖)は光源氏の失敗譚であると言はれたのには、目が開かれました。 

要するに、このことを知つたうへで、次週から〈帚木〉の卷を讀んでいきませう、といふことで、今日の講義は終了いたしました。 

 

歸路、今日はのんびりなので、まづ、田園都市線の三軒茶屋驛に直行し、目靑不動尊を訪ねました。三軒茶屋なんて歩いたこともなかつたので、ちよいと迷ひましたが、下町のやうな家並みのなかにありました。目白もさうでしたが、お不動さん、とても怖さうでした。これで、目黑、目赤、目黄、目白、そして目靑の江戸五色不動尊を網羅いたしました。 

さて、じつは本當の目的がありました。それは、田園都市線で津田沼驛乘り換へで町田へ出、柿島屋で馬刺しをいただくことです。お勉強も樂しかつたし、五色不動尊をやりとげましたし、なんとも美味しくいただきました。 

 

註・・丸橋忠弥(まるばしちゅうや) []? []慶安4(1651).8.13. 江戸時代前期、慶安事件の首謀者の一人。出羽山形の人。名は盛澄。通称、忠弥、正しくは忠也。宝蔵院流槍術の達人で江戸御茶の水に道場を開いていた。慶安4 (1651) 年由井正雪らとともに江戸幕府覆滅の陰謀をはかり、江戸城襲撃を担当する手はずであったが、密告により事前に発覚、町奉行石谷 (いしがや) 貞清によって逮捕され、品川で磔刑に処された。 

この事件はのちに浄瑠璃、歌舞伎狂言などに劇化され、庶民の屈折した共感もあって、浪曲「慶安太平記」は忠弥をはなばなしく描いている。 

 

今日の寫眞・・目白不動尊と丸橋忠弥の墓。それと、目靑不動尊と柿島屋の馬刺し。