十月廿八日(土)戊子(舊九月九日・上弦 曇りのち雨

 

朝を迎へることができました。どうにか。肩と背中が凝つてゐる以外に痛いところはありませんが、疲れたのでせう、からだを動かすのがちよいとしんどいです。 

そんなで、まだ寢床でうつらうつらしてゐるときに、我が「日記」愛讀者の友人からメールが届いたので、はつきりせぬ意識のまま、つづいて二通も返信を書いてしまひました。

 

メール續報一(八時三五分發信) 

森さん、大塚さん、川野さん、おはやうございます。 

さすがに今日は寝てようと思ってゐましたが、この旅の慣れでか、早く目がさめてしまひました。まあ、それでも今日一日は我が家公認のパジャマデイ。のんびり、といつても、欠けた「日記」をうめなくてはなりません。 

じつは、昨日訪ねた鳥羽離宮跡は、白河、鳥羽、後白河、後鳥羽の4上皇が建てた離宮なんですが、みなそこで精進潔斎して熊野に旅立つて行つたらしいのです。 

それで、昨夜、横になつて、神坂次郎さんの 『藤原定家の熊野御幸』(角川文庫) を読みはじめたら、またまた行きたくなってしまひましたよ! 

でも、大塚さん、熊野御幸ではちよいと遠すぎますよね? 

まあ、京都は町に一歩踏み出せばどこでも史跡に当たるところですから、季節と場所を選んでまゐりませうかね? 川野さんもご希望があれば言つてください。 

さて、森さん、帰宅したら、盆栽村散策の写真が届いてゐました。ありがたうございました。こんどは塩山ですね。楽しみです。では、おやすみなさい。ひげ 

 

メール續報二(九時二〇分發信) 

服部さん、おはやうございます。旅行記ご愛読ありがたうございました。 

まあ、このたびの衆議院選挙のことですけれど、今回だけではありませんが、日本人の本音といふか本質といつたものが露呈した選挙、といふより出来事だつたと思ひます。 

人間のといふか日本人のといふか、親分子分の間柄で、依れば大樹の影といつて安心・安住できる人間と、自分自身の生き方や主義主張を重んじる人間との戦ひ(?)なのだと改めて感じました。 

各人にあたれば、どなたに尋ねても、戦争は反対、原発もいやだと、それぞれご意見は語られるのでありませう、が、いざ選挙となると、自分の選挙区のなかから親分を選んで出す、そのことだけにみな集中してしまふやうなのです。自分はかう生きたい、かう思ふ、だからかういふ政治をしてくれる人に出てほしい、とはならないのですね。親分子分の關係では、自分の考へなど不要だからです。 

しかも、主義主張を重んずれば、自分とは異なる考へ方には、どちらかと言ふと不寛容となり、分裂が生じ、大きな力になれるはづがありません。これでは主義主張のいらない親分子分の政党にかなふはづはありません。片方は人数を集めて力をものにするのが目的、方や各人自分の心の満足や生き方が目的では、世の中を変へたいと言つたつて、はじめから勝負は決まつたやうなものです! 

だから、永久に分裂する宿命にある野党なんか、政府与党にしたら怖くもなんともないのでせう。ですから、あきらめるしかなささうですよ! ただ、黙つてゐたくはありませんが・・。いや、言はずもがなのことで、失礼いたしました。 

今日は寝て曜日です。おやすみなさい。ひげ 

 

かくして、午前中はぐつすり眠り、晝食をいただいてから文机に向かひました。待つてゐましたとばかりに、モモタとココがひざにのつてきたので、温かくてまたうとうとしてしまひました。 

それでも、二十四日、旅の第一日目の日記らしいものは書くことができました。 

 

今日の寫眞・・旅の途中で食べたもの。天理の干し柿と、かつくらのひれかつ。