十月廿二日(日)壬午(舊九月三日 雨 臺風接近

 

「天理・京都紀行」は明後日。一日中その準備に過ごしました。 

まづ、どこを訪ねるかで惱みました。天理圖書館と京都國立博物館は決まつてゐるものの、次いで、我が『歴史紀行』の繼續として、天皇陵探訪と、現在讀書中の 『日本紀略』 と 『源氏物語』 の時代の關係者の遺跡探訪でありませうね。それで、以下のやうに計畫してみました。

 

第一日 

一 天理圖書館 特別展「天理図書館 古典の至宝」 (『源氏物語』池田本等) 

一 「宇治陵」(註一) 藤原氏の陵墓探索 JR奈良線・木幡驛 

一 中宮定子墓所と淸少納言歌碑 JR奈良線・東福寺驛 

一 紫式部の邸宅跡 廬山寺(註二) 京阪鴨東線・丸太町驛 

第二日 

一 京都國立博物館 「國寶」展 (餓鬼草紙、病草紙等) 

一 陵墓探索  吉田山─後一條天皇─陽成天皇─真如堂─冷泉天皇 

第三日 

一 陵墓探索  円融天皇─村上天皇─宇多天皇─一條・堀川・禎子内親王─後朱雀・後冷泉・後三條─花山天皇─三條天皇 (山の中を歩くことになる?) 

 

以上、二泊三日で可能かどうか。だいぶ欲張つてしまひました。 

 

註一・・宇治陵 京都の南郊、宇治の木幡の地には、代々藤原氏摂関家の墓地が営まれていました。明治10年(1877)、宮内省によって調査され、藤原氏出身の皇室関係者17陵3墓を「木幡陵」に治定し、のちその陵域をさらに広げて「宇治陵」と改められました。しかしどの塚が誰のものかは明らかではなく、塚に1号から37号までのブロックにわけ、1号陵を総遙拝所としています。 

 

註二・・廬山寺 京都市上京区にある天台系の単立仏教寺院。圓浄宗の本山。日本人で唯一人、「世界の五大偉人」に選出され、フランスのユネスコ本部に登録された世界最古の偉人並文豪紫式部が生まれ育った邸宅跡として知られる。 

紫式部は、「平安京東郊の中河の地」、すなわち現在の廬山寺の境内(全域)に住んでおりました。それは紫式部の曽祖父、権中納言藤原兼輔が建てた邸宅であり、式部はこの邸宅で育ち、結婚生活を送り、一人娘の賢子を産み、『源氏物語』、『紫式部日記』、『紫式部集』などを、ほとんどこの地で執筆いたしました。そして、長元四年(1031年)、五十九歳ほどで死去したといわれております。 

昭和四十年十一月、境内に紫式部邸宅跡を記念する顕彰碑が建てられました。 

 

今日の寫眞・・妻の寫眞帖から。妻のお氣に入り、といふか、氣になつてしかたない於菟。それと、その他大勢。メニューが良すぎるので、みなまるまるしてゐます。