十月卅一日(火)辛卯(舊九月十二日 曇り

 

昨夜で「天理・京都紀行」の日記が仕上がつたのと、三日間座りづめだつたので、歩くために出歩いてきました。ちやうど神保町では古本まつりが開催中でしたので、行つてまゐりました。いや、あくまでも健康散歩のためであります。 

ところが、トイレを借りるために、東京堂書店に入り、三階の國文學關係の棚に近づいたら、ふと目にとまつたのが、「奈良絵本」についてと、「古文攻略」と書かれた文法書です。新本はタブーのはづでしたが、しかも古本まつりに來たのに、まづいのですが、今後のお勉強のために買つてしまひました。 

 

考へてみたら、今回の紀行は、現在讀んでゐる 『日本紀略』 の人物や史跡の探訪であつたと言つても過言ではないやうに思はれます。復習してみますと・・。

 

寛和二年(九八六年)、一條天皇七歳で践祚以後、賴忠没、内裏の「古今無比」の大火、定子さん、十一歳の一條天皇のもとに入内、道長たちの父兼家没、円融法皇崩御、皇太后詮子落飾して東三條院となり、道長の舅・源雅信没、道長の兄で、定子さんの父關白道隆没、つづいて道長の次兄、七日關白・道兼の没、定子さんの二人の兄、伊周と隆家が花山法皇に矢を射かけて流罪となり、そのあおりを食らつて、定子さんは尼となり、その間に承香殿の女御・元子さんが入内し、祭をめぐつて雑人が合戰、三蹟の一人・藤原佐理没、長徳に改元するも、内裏がまた「焼亡」し、やつと道長の長女彰子さんが中宮となつて入内、「新造内裏」に移るや、定子さんが女児を産んだ翌日に崩御(年廿五)、つづいて、左大臣と右大臣の息子がともども出家して世を驚かせたといふ、長保三年(一〇〇一年)二月あたりまで讀み進んできたのでありました。

 

さあ、つづいてはどんな展開が待つてゐるのでありませうか。 

 

今日の寫眞・・「天理・京都紀行」で訪ねたところの入場券と、今日の神保町。