十一月七日(火)戊戌(舊九月十九日・立冬 晴

 

今日の讀書・・午前中は昨日の日記を書き、晝からは、鳥越碧著 『後朝(きぬぎぬ) 和泉式部日記抄』(講談社文庫) を讀みつづけました。まあまあ、戀とはかくなるものにや、とぼくには未知のといふか異界でありまする。 

また、複刻日本古典文學館で讀んでゐる、井原西鶴の 『繪入 好色一代男』 の三を讀み終はり、四に入りました。世之介君の、日本全國をさすらい歩く奔放な生きざまがまぶしいです。

 

さう、明日から一泊しての 《東山會》 であります。塩山を歩きます。中仙道を歩くでは、和田峠を越えたところから三條大橋まで、一泊二日か二泊三日の行程でしたが、完歩後に歩きはじめた 《東山會》 の散策での宿泊ははじめてでありまして、胸がわくわくしてをります。早いもので、今回で七回目になります。 

まあ、先日の「紀行」のやうな場合には、臨機應變な行動が必要ですので、一人旅を余儀なくされますが、みなさんと一緒に、中仙道の思ひ出を時には語り合つたりして、幹事役のリーダーに従つて歩くのもこれまた旅の醍醐味でありませう。 

泊まる宿は、一八〇餘年守られてきた名旅館のやうですし、知つてゐるところでは恵林寺ですね(註)。「鳥もつ煮」と「馬刺し」も食べられるかな? 

 

註・・恵林寺 天正10年(1582)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は 『安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し』 と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。 

 

今日の寫眞・・モモタになめなめされて極樂氣分のココ。