十一月十一日(土)壬寅(舊九月廿三日・下弦 曇りのち晴

 

今日の讀書・・今日は土曜日、學習院さくらアカデミーの日です。二回お休みが入つたので、三週間ぶりの講義でした。 

冒頭、先回からはじめた「くづし字」のお勉強をしたのですが、みなさんたいへんご熱心で、ぼくもあらためて順序よく學んでいこうと思ひました。それから、〈帚木〉の卷の第二回目に入りました。

 

源氏の君と(頭)中將とのやりとりの途中からでした。源氏に、女たちから届いた戀文を見せろと迫る中將に、なんとかかんとか言つて逃げる源氏でしたが、このへんから、どんな女性がいいかなどといふ議論がはじまりました。 

いや、中將殿はよくしゃべります。といふか、一應持論があるんですね。それも、むずかしい言ひ回しで、解釋するのがめんどうなくらゐでした。上流の女はこうだ、中流の女はああだ、下層の女は目じやないとか、言ひたい放題です。そこに、なにやら胡散臭い左馬頭と藤式部丞が登場したところまで。 

「靑表紙本」で、六頁の七行目から十四頁の二行目まででした。 

 

さて、せつかくの外出です。午前中は神田の古書會館に寄り、歸りは高圓寺の古書會館を訪ねました。例の如く、廣く目を養ふためですが、手に取つたのは薄つぺらな古文書でした。古文書などといふおおげさなものではなく、伊勢參りした方が、覺えと記録のために記した「日誌」、といふより「俳句集」です。讀みにくいのは仕方ありませんが、丁寧な文字ですのでどうにか解讀できそうなので買ひ求めました。たつた二〇〇圓でした。 

 

今日の寫眞・・學習院、さくらアカデミーに向かふ人々(ご老人?)。と、高圓寺の古書會館で掘出した古文書? 『伊勢參宮及関西遊覽日誌俳句』 の手作り表紙と、書き始めと書き終はりの頁。 十三丁(二十六頁)に、訪ねた先々で詠んだ俳句が整然と記されてゐます。ちなみに、出發地は舊信越本線小諸驛で、十二日間の團體旅行だつたやうです。例へば・・。 

「春風に神社参りの門出かな」〈出発〉 

「塩尻を越えて向うは洗馬奈良井」〈木曾入〉