十一月廿六日(日)丁巳(舊十月九日 晴

 

今日の讀書・・あとわづかなので、『日本紀略』 を、『史料綜覽』 とともに七年分を一氣に讀み進みました。そして、たうとう藤原道長最期の記事に遭遇いたしました。 

「萬壽四年(一〇二七年)十二月四日 入道前太政大臣藤原朝臣道長公、法成寺無量壽院ニ於テ薨ズ 法名行覺、年六十二」 

すると、同日に、『權記』 を書き、小野道風・藤原佐理とともに三蹟と称された、藤原行成も死んでゐるんです。道長の場合は闘病の末でしたが、行成は五十六歳、「俄ナル病惱」であつたやうです。

 

ところで、道長の強欲は、法成寺には金堂、淨瑠璃院、藥師堂等の伽藍を建造し、佛像をこれでもかといふくらゐに供養したただけにとどまらず、死ぬ四、五年前には、「逆修」といふのを法成寺で行つてゐます。「逆修」とは、「生前に、あらかじめ自分のために仏事を修して死後の冥福を祈ること」なのですが、まあ、あきれるしかありません。獨裁者の孤獨と不安ここに極まれり、といつたところでせう。 

「道長ヲ鳥邊野ニ火葬シ、遺骨ヲ木幡ニ送ル」 

今では、木幡のその墓地すらもはつきりとしてないことについては、先月實際に見てまゐりました。宮内庁も、天皇の陵墓についてはなにがなんでも決めつけるしかなかつたやうですが、さすがに道長の墓を斷定できなかつたやうです。

 

道長が、「望月の歌」を披露したころからは、表立つて叛旗を翻す者もなく、この間の記事も平凡です。ぼくが目についたのは、「亂髪男一人北陣ニ入ル。狂人カ」とか、「近江國勢多橋焼亡」とか、内裏が「犬死穢」によつて穢れたので、諸行事が中止や延期になつたこと、それと、相變はらずの死亡記事と落飾出家の記事です。 

 

晝過ぎ、BS朝日で、《ドナルド・キーン95歳 心の旅》 といふ番組をたまたま見はじめたらやめられず、たうとう最後まで見てしまひました。特に、古浄瑠璃には前々から關心があるので、前半の、「三百余年の時を経て、大英図書館から蘇った幻の古浄瑠璃 『越後國柏崎 弘知法印御伝記』」 と、その上演にいたるまでのドキュメントは感動的でした。またキーンさんのバイタリティには驚かされました。 

 

今日の寫眞・・朝刊の切り抜き。それと、「ドナルド・キーン95歳 心の旅」より。