十一月廿八日(火)己未(舊十月十一日 晴のち曇り

 

今日の讀書・・今日やつと 『日本紀略 第三(後篇)』 を讀み終へました。二〇一三年の正月から讀みはじめましたが、中仙道を歩くツアーが開始されたため、以後二年半ばかり中斷してしまひ、と言つてもはじめの三〇頁までしか讀んでゐなかつたのですが、以後、昨年の十月からは繼續して、最後の二九〇頁までを讀みつづけたといふ次第でした。

 

中仙道を歩くのと並行して、つまり、『日本紀略』 の中斷期間でありますが、   古文書(くづし字)を學びはじめ、日本古典文學をくづし字の影印本で讀みはじめたのでした。その經緯は、『歴史紀行』 のところどころで書いてきたとほりです。古典文學を讀むはうは、現在 『源氏物語』 に到つてゐます。 

それがまたちやうど、『日本紀略』 の内容と重なり合ふところで、十月に出かけた京都旅行では、一條天皇や道長ゆかりの地やそのお墓、中宮定子さんや彰子さんのお墓、それに紫式部の邸宅跡などを訪ね歩くことができました。「藤原道長紀行」か、「源氏物語紀行」と名付けてもいいくらゐの旅でした。それで、『歴史紀行』 の、『平安京編四 平將門紀行』(六四・六五册) につづくものとしてまとめてみようかと思つてゐるところです。 

 

さて、『日本紀略』 の内容ですが、道長亡きあと、長元三年(一〇三〇年)から、長元九年(一〇三六年)四月十七日、後一條天皇の崩御によつてしめくくられまでを讀みました。 

道長のあとを繼いだ關白賴通は、ただ引かれた路線を踏襲するしかなく、目立つた働きも見られませんでした。宇治の平等院の創建は、永承七年(一〇五二年)ですしね。まさに、藤原氏の「望月」が缺けてゆかんとするところまででした。 

 

それで、ドナルド・キーンさんの 『日本文学史 古代・中世篇三』(中公文庫) のなかの、「一二・源氏物語」を讀んでみました。六十四頁しかありませんが、内容は濃厚で、『源氏』の全帖について、とてもよくまとめられてゐました。 

また、今までにもあちこち拾ひ讀みをしてゐた、土田直鎭著 『王朝の貴族 日本の歴史5』(中公文庫) を繙き、一應讀んだことにしました。これは、ぼくとしても、これからもお世話になる重要な參考書だと思つてゐます。 

 

今日の寫眞・・『日本紀略 第三(後篇)』 最後の頁。それと、ドナルド・キーンさんの 『日本文学史 古代・中世篇三』(中公文庫) と、 土田直鎭著 『王朝の貴族 日本の歴史5』(中公文庫)。