十二月四日(月)乙丑(舊十月十七日 晴のち曇天

 

今日は、久々に無爲に過ごしました。 

朝、母をデイサービスに送り出したあと、妻とともに齒科通院。いつものクリーニングで、さつぱりして歸宅。夕方まで机の前で、ぼおつとしながら、ときたま、先日求めた、『かなを読む』 を開いたり、お晝には、妻と大黒屋まで歩いて、貝づくしをいただいたり、歸宅後は、ふたたび机によりかかつて居眠り。一方妻はやるべきことを百パーセントこなさないとすまない人ですから、休む間もなくなにかしら動き回つてをります。

 

さうだ、昨夜寢る前に、試しにもう一度メール畫面を開いたところ、もうダメかと思つてゐたメールが開けたのです。が、開いたとたんに送信が開始され、エラーとなつて滯つてゐた、三度送り直したメールが一瞬にして發信されてしまつたのであります。 

まあ、それはそれで胸をなでおろしたのですけれど、屆いた方は驚いたに違ひありません。はじめから落ち着かないやりとりで、申し譯なく思ひました。 

 

さて、夕方、母が歸宅するのを待つて、妻の運轉で家を出て、今晩の會場へ向かひました。まづは、高砂に向かひ、川崎さんと中辻先生をお乘せし、それから立石に向かひました。宴会場所は、以前にも利用したことのある立石驛にほど近い、「中華料理 四川亭」。幹事の齋藤さんと坂本さんはすでに來てゐて、なんだか一杯やつてゐたやうです。まあ、だいぶ遅れて到着しましたから、そこのところは大目に見て、注文した生ビールで乾杯しました。 

舊弓道仲間の忘年會。全員そろつての集まりは何年ぶりでせうか。「舊」とつけたのは、それぞれの事情で弓道からはなれつつある方が約半數をられるからです。ぼくは、胸にペースメーカーを装着せざるを得なくて、昨年の七月二十五日以来お稽古に出てゐませんし、中辻先生は八十二歳になられて、歩くのにも苦勞の模様。紅一點の川崎さんは、書道を極めるために一度弓道からはなれ、でもまた最近復活なされたといふ。元氣なのは、手術をしてなほかつ飲むのがやめられない齋藤さんと、獨自の姿勢をくづさない天祖神社宮司の坂本さん。獨自の姿勢といふのは、自分のクセをなかなか克服できないといふぼくの解釋ですが、この五人が集まれば、話が途切れる間がありません。五時半から八時近くまで、飲んで食べて、お喋りして、樂しいひと時を送ることができました。

 

ただ、困つたのは、歸りぎは、坂本さんと齋藤さんに、稽古をするかどうかはべつにして、毎週月曜日の午後には道場に來るべしといふ強烈なお誘ひがあつたのです。まあ、稽古着はまだカーテンの陰に掛けてあるし、道具類もすぐに出せますけれど、はたして、帶が締められるだらうか、いや、ペースメーカーに影響はないだらうかと思案どころです。 

 

今日の寫眞・・今晩の四川亭にて。それと弓道場にて。お喋り三人のちぐはぐな稽古姿と、まだ、ぼくにも希望があつたころの射姿。