十二月十二日(火)癸酉(舊十月廿五日 晴

 

今日の讀書・・廣川勝美著 『深層の天皇』 を讀みつづけました。そして讀み終へました。けれど、まるで文化人類學書のやうで、『源氏物語』 を題材としてはゐるのでせうが、よく分かりませんでした。 

「このやうに、この朝廷の天皇には、平城京に発する系統と平安京に発する系統がある。そして、それぞれの外戚もまた両系統に分かれるのである。六条御息所の物の怪が取り憑くのは平安京に発する系統その外戚である。そこに、平城古京に対立することをあくまでも許さぬものがある。というよりも、平城古京に発する系統の天皇の復活が求められるのである。そのためにこそ光源氏の周辺を選別しつつ物の怪として取り憑いたのである。 

それにしても、六条御息所の物の怪が藤壺の女御に憑かなかったのはなぜか。」 

さあ、このことを受け入れた場合、どのやうに讀んでいつたらよいのでせう? 

 

『西國三十三所並善光寺御詠歌』 が五〇〇圓、『觀世音御詠歌』 は二〇〇圓でしたが、それで何日も樂しめるだけでなく、くづし字のお勉強にもなるのですから、古本探索はなんとお得で有意義なのでありませう。せつかくですから、くづし字解讀だけでも續けていきたいと思ひます。 

幸ひなことに、この二册のくづし字は、連綿がほとんどないので一文字一文字が判別しやすいことです。ただ、解説のはうの漢字にはてこずります。 

 

今日の御詠歌・・四番の解説、四番、五番、五番の解説、(六番は宿題)

 

 

*昨日の宿題、四番の解説 

「第四ばん 和泉國いづみ郡まきのを(槇尾)村 まきのを山せふく寺(施福寺) 本尊千手觀世音菩薩 御長五尺 法界上人御作にして 開山ハ行滿上人なり」

 

*第四番札所 

「四ばん いづみの まきのを寺  みやまぢや ひばらまつばら わけゆけば まきのをてらに こまぞいさめる」 (「き」の字母は「起」と「幾」) 

(深山路や 檜原松原 わけゆけば 槇の尾寺に 駒ぞ勇める)

 

*第五番札所 

「五ばん かハちのふちいてら  まゐるより たのみをかくる ふぢゐでら はなのうてなに むらさきのくも」 (「か」の字母は「可」と「加」、「の」の字母は「乃」と「能」) 

(参るより 賴みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲)

 

*五番の解説 

 「第五ばん 河内國 たんなん(丹南)郡ふぢゐ寺(藤井寺)村 しうんざん(紫雲山)ふぢゐ(葛井)寺 本尊千手觀世音菩薩 御長四尺八寸 けいもんゑ(稽文会)・けいしゆくん(稽主勲)御作にして 開山ハぎやうぎぼさつ(行基菩薩)なり」(註) 

 

註・・稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん) 奈良時代の仏師。神亀年間(724729)に稽文会と共に、奈良長谷寺の十一面観音像を造ったと伝えられている。現存する大阪・葛井寺の千手観音像も両者の作とされているが、確証はまったくなく、その存在も伝説の域を出ない。 

 

今日の寫眞・・第三番札所の粉河寺に傳はる、『粉河寺縁起』 より(日本の絵巻5 『粉河寺縁起』四〇、四一頁)。火災により燒損してはゐますが、國寶です。京都國立博物館に寄託されてゐるさうですが、十月に訪ねたときに、あつたのだらうか? 記憶が曖昧です。 

寫眞は、第三段。「河内国の讃良郡(さららのこおり)に長者が住んでいた。その一人娘は、体に膿みができる重い病にかかっていた。仏の像をつくり、祈祷をするが、3年経っても効き目がない。そこへ現れた童行者が、姫君のために7日間ほど祈らせてほしいと言い、姫の枕元で千手陀羅尼を唱えた。」といふ場面です。「童行者」が千手観音の化身だつたのですね。 

「いのるにしたかひて・・」と、くづし字が讀めるのがうれしいです。 

それと、鼻水を流しながらも膝からおりないモモタ君。