十二月廿五日(月)丙戌(舊十一月八日 晴

 

今日の讀書・・今日はクリスマス。にもかかはらず、といふかだからこそ心靜かに讀書できたことは幸ひでした。 

 

さて、『源氏大鏡〈上〉』、昨日の〈序〉と〈桐壺〉につづいて、今日は、〈帚木〉の卷を讀みました。一二丁から三一丁まで、三十七頁ありました。一日で讀んだページ數では最高でした。まあそれだけ讀みやすかつたわけですが、まだ講義で讀んでないところまで讀んでしまつたことになります。      

今度は、〈引歌〉とともに〈さいはら(催馬楽)〉まで出てきました。原文にはさはりと言つてよいのかどうか、一部分の言葉しか記されてゐませんから、これも「歌人・連歌師たちの手引書・教養書」としてすぐに歌詞が見られるやうに配慮したものなんでせうか。

 

つづいて、『源氏小鏡』 のはうも見てみたいのですが、このはうが、内容は簡潔であり、和歌の引用は限られたものだけだといふので、より讀みやすいかも知れません。自分の目でたしかめたいと思ひます。 

けれども、ここで結論を言つてはまだ早いといふか、それでは希望がなくなつてしまふと思はれますが、やはりなんと言つても、原文を讀むのが一番! 研究するわけではないのだから、樂しめる讀み方をしたい。そのためには、ダイジェストではなく、原文ですね、なんと言つても。一番面白いのが原文であることに間違ひありません。 

たしかに、原文のくねくねしたやうな、もつて回つたやうな書き方は、くづし字で讀むのはけつこうしんどいです。ダイジェスト版はくづし字用と思つて讀めたらいいと思ひます。 

 

今日の御詠歌・・二十二番の解説、二十二番、二十三番、二十三番の解説、(二十四番の解説は宿題)

 


 

*昨日の宿題、二十二番の解説

 

「第二十二ばん せつつの國下嶋郡そふぢじ村 補陀洛山そふじ(総持)寺 

本尊千手觀世音菩薩 御長三尺六寸 變化童子の御作にして 開山は藤原たかふさ(高房)公なり」

 

*第二十二番札所 

「廿二ばん つのくに そうじ寺 

おしなべてたかきいやしきそうぢしの ほとけのちかひたのまぬはなし」 

おしなべて高き賤しき総持寺の 佛の誓ひ 賴まぬはなし

 

*第二十三番札所 

「廿三ばん つのくに かちをてら(勝尾寺) 

おもくともつみにいのりのかちをでら ほとけをたのむみこそやすけれ 

重くとも罪に祈りの勝尾寺 佛を賴む身こそやすけれ

 

*二十三番の解説 

 「第二十三ばん せつつの國としま郡粟生(あお)村 おうちやうざん(應頂山)かちを寺 

本尊千手觀世音菩薩 御長八尺 けにん(化人?)妙かん(妙觀)の御作にして 開山はぜんちう(善仲)ぜんさん(善算)也」 

 

今日の寫眞・・晝食に出たときに見つけたポスター。妻が協力してゐる活動グループのものです。聞けば聞くほど難しい問題が含まれてゐます。せめて、葛飾區が資金もふくめて協力してくれたらいいのになあと思ひます。 

もう一枚は、今日は立ち寄りませんでしたが、親しくしてゐる靑木書店の店先です。いい本があるんですが、入るとご主人と話し込んでしまつて、店内をじつくり見て回つたことがないのです! こまつたものです。 

敎へ子の女子生徒、と言つても來年は六十歳になりますなんて書かれてゐましたから、どれほど昔の敎へ子であるか想像もつかないでせうが、いただいた唯一のクリスマスカードです。