十二月卅一日(日)壬辰(舊十一月十四日 曇天、一時晴

 

今日の讀書・・白洲正子著『西国巡礼』(講談社文芸文庫、初刊・一九七四年)と、杉本苑子著『西国巡礼記』(中公文庫、初刊・一九六六年)と、それに、西国札所会編・佐和隆研著『西国巡礼 三十三所観音めぐり』(現代教養文庫、初版・一九七〇年)を、どうにか今年中に讀み終はることができました。 

白洲さんと杉本さんの書き方といふか、視點が違ふところなんか、興味がありました。それは、複眼的思考とでもいふのでせうか、とても勉強にもなりました。例へば、白州さんは、〈第二十番 善峰〉で・・。

 

「この寺は後一条天皇の長元三年(一〇三〇)、源算上人の建立による。上人は山に籠ったきり七十余年も下山せず、きびしい修行を積んだので、多くの人々に尊敬され、百十七歳の長寿を保って眠るが如く遷化した。その後、法親王がつぎつぎ入山し、その名も西山御坊と呼ばれ、あたかも門跡の隠居所の觀を呈した。そのためか、寺内は手入れが行きとどき、お寺というより貴族の別荘といった感じがする」、と言ひ、これに對して、杉本さんは。 

「この寺は惜しくも死に、同時に美しく、品よくなった。いわば形骸の美だ。善峰寺ばかりではない。門跡寺院、何々御所と言った寺々の静謐は、あえぎ、くるしみ、血みどろになって今日を闘っている庶民も目からすれば、すべて風化しかかった死物の美しさとしか写らない」、とまあ、このやうにどのやうな目線で書いてゐるかが問はれるやうな文章です。

 

また、最後の札所の〈第三十三番 華厳寺〉では、杉本さんの巡禮の總括なのでせうか、かなり嚴しいお言葉です。 

「民衆の無知、貧困、そのゆえに切なる願望、みたされぬ嘆き、不安、懊悩・・・・、それらを我が身の上として同じ苦しみ、悩み、彼らの魂の救済のために、先頭に立って刻苦してゆくという、宗教家ならば、当然持ってしかるべきはずの自覚を僧たちが持たず、伽藍や仏や経文を商売道具に使っているとしたら、はやるのは、むしろなげかわしい状態といわねばならない」、とおつしやつてをられます。

 

たしかに、訪ねた先々でご住職と言葉を交はされた杉本さんならではの指摘だと思ひます。それにしても、お二人の巡禮記を讀んでゐて、訪ねてみなくてはならないと思つたのは、八番の長谷寺と十三番の石山寺ですね。兩寺とも、『源氏物語』 に關係あるからといふだけではなく、足腰が動くうちにその場所に立つてみたいと思ひました。 

それと、六波羅蜜寺。ぼくは、三十三間堂と混同してゐて、訪ねたことはありませんでした。六道珍皇寺のそばなのに、勉強不足でした。 

 

さてさて、今年は、何と言つても、『源氏物語』 の一年でした。二月の下旬、たまたま新聞廣告で目にした、〈學習院さくらアカデミー〉の 《源氏物語をよむ》 を受講し、良き師とクラスメートにめぐりあへて、ぼくの勉強にも一段と力が入つたのでした。 

くづし字リテラシーもこの間に一段と向上したと思はれ、『源氏大鏡』 に 『源氏小鏡』、それに 『十帖源氏』、さらに、『好色一代男』 も讀み囓つたり讀み進むことができました。生意気なやうですが、くづし字だから有難かつたんですが、なんだか讀めてみると、魔法がとけたやうに、ありがたみが薄くなつたといふか、普通の本に見えてきました。が、これではいけないので、まだまだありがたがつて讀んで行きたいと思ひます。 

さう、一昨日、『源氏物語』 の「主要古註釈一覧」を見てゐたら、『源氏物語忍草』 が目にとまりました。調べたら、『源氏大鏡』や『源氏小鏡』や『十帖源氏』などのダイジェスト版のなかでも、「原作の面影が十分に生かされた出色のものであろう」とあつたので、探しました。できれば影印書で。で、檢索したら、いつも訪ねてはお喋りしてくる西秋書店にあり、すぐに注文したら、それが大晦日の今日屆いたのです。有難いやら嬉しいやらで、お正月は、これで、「紫上系」(十七帖)のうちの、〈賢木〉までを復習として讀んでみたいと思ひます。 

 

註・・『源氏物語忍草』(げんじものがたりしのぶくさ)は、江戸時代(1688年)に出版された『源氏物語』の梗概書である。連歌師のための書としての側面の強い源氏大鏡や源氏小鏡とも、初学者向けの側面の強い十帖源氏等とも異なった優れた注釈書としての側面も持っており、「源氏物語の平明な入門書として類書を抜く」とまで評され写本として一部の文人たちの間に伝わってはいたものの、伝本も少なく知名度も低かったが、約150年後の天保年間に至って版本として刊行されて普及した。 

著者は江戸前期の俳人・歌学者である北村湖春。湖春は、『湖月抄』の著者である北村季吟の嫡男であるが、父季吟が宝永2年(1705年)に82歳で没したのに先立ち、元禄10年(1697年)に53歳で没している。本書は北村湖春によって残されたおそらくは唯一の作品である。 

 

今日の御詠歌・・三十二番の解説、三拾貳番、三拾三番、三十三番の解説。

 


 

*昨日の宿題、三十二番の解説 

「第三十二ばん あふみの國かんざき郡觀音寺(くわんのんじ)村 きぬがさ山(繖山)くわんおん寺 

本尊千手觀世音菩薩 御長三尺 開き御作聖徳太子なり」 

 

*第三十二番札所 

「三拾貳ばん あふみのくに くわんをんじ 

あらたうと みちびきたまへ くはんおんじ とおきくにより はこぶあゆみを 

あなたうと 導きたまへ 觀音寺 遠き國より 運ぶ歩みを 

 

*第三十三番札所 

「三拾三ばん みのゝくに たにくみ寺 

よろづよの ねがひはこゝに おさめおく みづはこけより いづるたにぐみ 

万世の 願ひをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲 

 

*三十三番の解説 

 「第三十三ばん 美の國大の郡とくずみ(徳積)村 谷くみ山(谷汲山)花ごん寺(華厳寺) 

本尊十一面觀世音菩薩 御長七尺五寸 文じゆほさつ(文殊菩薩)の御作にして開山ぶねん(豊然)上人なり」 

 

ちなみに、三十三番の御詠歌には他にも二つあり、それを最後に載せておきます。 

「よをてらす ほとけのしるし ありければ まだともしびは きへずありける」 

「いまゝては おやとたのみし おひずるを ぬきておさむる みのゝたにぐみ」 

それで、この「よをてらす」は、『千載集』にものつてゐる歌で、三十三所の御詠歌の中で唯一身元ののわかつてゐる歌ださうです。

 

以上、『西國三十三所 御詠歌』 と 『觀世音御詠歌』 のくづし字でした。それぞれ、五〇〇圓と三〇〇圓でしたが、これだけ學んで樂しめれば安いものでせう。新年は、くづし字で何を讀んでいきませうか? 

 

今日の寫眞・・今日も幸せなココ。と、『源氏物語忍草』 とその〈桐壺〉の卷冒頭。

 


 

十二月一日~卅一日までの讀書記録

 

十二月二日 藤沢周平著 『時雨のあと』 (新潮文庫) 

十二月二日 觀世流稽古用謠本 『葵上』 (檜書店) 

十二月二日 觀世流稽古用謠本 『野宮』 (檜書店) 

十二月廿二日 『十帖源氏』 (古典文庫) 〈賢木(榊)〉の部分 

十二月廿四日 『源氏大鏡〈上〉』 (ノートルダム清心女子大学古典叢書) 〈序〉と〈桐壺〉の部分 

十二月廿日 『源氏小鏡』 (高井家本・教育出版センター) 〈桐壺〉の部分 

十二月廿九日 井原西鶴著 『繪入 好色一代男 四』 (複刻日本古典文學館) 

十二月卅一日 白洲正子著 『西国巡礼』 (講談社文芸文庫) 

十二月卅一日 杉本苑子著 『西国巡拜記』 (中公文庫) 

十二月卅一日 西国札所会編・佐和隆研著 『西国巡礼 三十三所観音めぐり』 (現代教養文庫)