正月三日(水)乙未(舊十一月十七日 晴、風が冷たい

 

今日も散歩。せつかくですから、《東京散歩 じゆんの一歩一》 を歩いてきました。その第十六回目であります。心臓と健康には歩くのが一番とは知りながら、モモタとココを相手にうつつをぬかし、一月あまり休んでしまひましたから、讀書を犠牲にして出てまゐりました。 

『源氏物語忍草』 は順調で、〈桐壺〉につづき、〈若紫〉、〈紅葉賀〉、〈花之宴〉、そして〈葵〉に入りましたから、このへんで一休みもいいでせう。

 

その、《東京散歩》 ですが、ガイドブックに從つて歩いてをります。『東京山手・下町散歩』(昭文社) といふ册子で、ざつとくらべただけでも、東京を歩くのには最適のガイドブックですね。全部で一二〇コースのルートがあります。それを、昨年の四月からはじめて、まだやつと十六コース目といふのですからお寒い感じは否めませんが、まづは實行しかありません。 

 

ガイドブックによる、今日のコース名と内容にはかうあります。「失われた川を歩く 谷端川追慕 千川駅~板橋駅 豊島区の栗島神社を水源として、豊島区から板橋区境を東に下った谷端川の水路跡を歩く。ほとんどが水路跡の谷端川緑道公園になるので、かなり歩きやすい。〔所要〕3時間」。

 

はじめ、どちらから歩きはじめようかと思ひました。板橋驛は第一回目のスタート地でしたし、〈コース番號7〉ではゴールでした。それで、まだ降り立つたことのない千川驛をスタートに決めました。 

千川驛には、千代田線の日比谷驛で有樂町線に乘り換へてめざしました。どれだけ時間がかかるかわからない、しかも地下鐵ですから、念のために本を持つて出ました。『妙好人傳 初編上』 です。天保年間の刊行ですから、かなり古びてをりますが、これがすらすらと讀めるやうになりまして、それでうれしくて讀んでゐたら乘り過ごしてしまひさうになりました。序文六頁と、「藝州喜兵衛」と「石州九兵衞」のはなしがそれぞれ四頁ありました。たわい無い内容で、阿彌陀佛への信仰が、そのまま現世のふるまひといふか道徳生活を形作つてゐると言ふことがわかりました。が、このことは日本人の倫理道德を語るうへで無視できない要素であり、それが現在急速に失はれつつあるゆゑにことさらに思ひます。 

 

さて、有樂町線の千川驛を降り立ち、地上に出ると、「ここはどこ、わたしはだれ」状態にしばし呆然。そこでガイドブックを取り出し、地圖をたしかめながら歩きはじめました。 

一一時一五分スタート。今日のコースは、名所舊跡は期待できそうにありません。川を暗渠にした上の公園を歩くだけですから、まあ、期待せずにウオーキングに徹しませう。 

で、最初に訪ねたのが、栗島神社です。ガイドブックには谷端川の水源とあるのですが、そんな素振りをみせない、ありふれた神社でした。だつて、「谷端川緑道」まではずつと先ですし、その間、水路らしきものは見られないからであります。 

その、栗島神社は、しかし、「創建年代は不詳ですが、新田義貞の祈願所として知られ、江戸時代は弁天社と称し村民持の神社でした」、といふ一應由緒ある社のやうです。

 

途中それでも遠回りして、熊谷守一美術館に立ち寄りましたが、もちろんお正月休みでありました。都營大江戸線試作車輌が展示された公園でトイレをかり、さらに椎名町サンロードを南下、椎名町驛を過ぎると左折して山手通りを越え、再び西武池袋線の踏切を渡つたあたりから「谷端川緑道」がはじまりました。これが長い。それでも、トイレがあり、またコンビニでも借りられたので、その長丁場をどうにか歩き通すことができました。ただ、食事するところがなくて、結局ゴールの板橋驛についてからいただきました。 

一三時四〇分到着。正味八五九〇歩でした。

 

で、そこは中仙道筋で何度も行き來した場所。都營三田線の新板橋驛から乘ろうと思ひ、驛前の本屋に立ち寄つたのが運の盡き。菅原文太・半藤一利對談 『仁義なき幕末維新』(文春文庫) と出會ひ、帶と目次を見ただけで八六四圓は惜しくないと思つてしまつたのでした。新本屋では買つてはいけないといふ我が戒めを、選りに選つて新年最初に破つてしまつたとは情けない! 

さう、今日一日で歩いた歩數は、一二二〇〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・栗島神社。熊谷守一美術館。谷端川緑道の入口、といふかスタート地。最後は、求めた本の表紙。