正月十日(水)壬寅(舊十一月廿四日 晴

 

今日の讀書・・『十帖源氏』 を丁寧に讀んでゐたら意外と時間をくつてしまひました。〈若紫〉と〈紅葉賀〉。原文はもちろん、ダイジェスト版も三種のくづし字本で讀んできたので内容はほぼ分かつてゐます。が、話の筋を追ふために、机上でしたから、原文と照合して讀んでゐて氣がついたことは、『源氏大鏡』 と同じく、『十帖源氏』 でも、「作中和歌」が省かれることなくすべて記されてゐることです。〈若紫〉では二十五首(通し番号では、四五~六九)、〈紅葉賀〉では十七首(八四~一〇〇)。全卷では七九五首の和歌を、紫式部はすべて自作したのでせうか。それとも、借りたり、變へたりして使用したのでせうか。そんなことまで氣になりました。それはそれとして・・・。 

ですから、「作中和歌」を基準にして前後を讀むと、どこがどのやうに省かれてゐるかが一目瞭然。これでは筋が通らない、といふよりは分からないのは當たり前。さらに、「作中和歌」を省かないために、ダイジェストとして筋をたどるなら、必要ないだらうと思はれる逸話を殘してゐます。

 

通し番号六六と六七なんて、たまたま浮氣相手の家の前を通りかかつたときにおこなつた歌のやりとりです。それはそれでいですよ。でもね、このとき、源氏は藤壺が懷妊したことを知り、その惱む姿を見てきたあとであり、あどけない少女紫上をいかに手に入れるか考へてゐた最中であり、その祖母である唯一の庇護者・尼君が死去した直後であり、さらにこのあと、紫上の父親と會つたりして、攫(さら)ふやうにして、少女を二條院へ迎へるといふ、そのやうな状況のなかで、よくもまあまめまめ(忠實忠實)しく、と言ひたいです。この源氏の君、どんな精神構造をしてゐるのか、それを知るためにも、まあ、さらに讀んで行くしかないのでありませう。 

さあ、さくらアカデミーが迫つてきました。そろそろ〈帚木〉の準備(復習と豫習)にかからなくてはなりません。 

 

今日の寫眞・・今日のお晝、食事時でしたが、BSプレミアムでやつてゐた、「新日本風土記『会津』」を見て、戊辰の屈辱は忘れられてはゐないことを知り、感動しました。 

そのあとで、『鷲は舞いおりた』を見ました。昨日は『眼下の敵』、先日は、『ナヴァロンの要塞』も見ました。これらはみな男と男の友情と信賴、尊敬がテーマだと言つてもいいでせう。もちろんだから戰爭がいいなんて決して思ひませんが、これらの映畫で見た限りですが、日本の戰爭映畫や戰爭文學を思ひ出して、慄然としてしまひました。

 

日本の軍隊の内實は、敵と戰ふのではなく、見方であり同じ日本人である部下をイジメ、苦しめ、辱めて、結局殺してしまふといふ、日本人殺害部隊にすぎなかつたのです。いつたい何のための軍隊であり、戰爭だつたのか。 

特に、陸軍が長州人によつて占められてゐたことによつて、ぼくはその理由が分かりました。幕府に味方した藩の人間を抹殺したかつたのでせう。彼らにとつては、長州人以外は人間ではなかつたのです。せめて、同じ日本人として、維新後の日本を發展させて行かうといふ理性的な判斷があつたのなら、藩政奉還後の戊辰戰爭は必要なく、永井繼之助を死に至らしめることもなく、會津の女子どもまで無辜の血が流されることもなく、日淸、日露、ノモンハン、さらに太平洋戰爭を通じてあれほど大量の若者たちや民間人を殺してしまふ理由を探すはうが難しい。 

「新日本風土記『会津』」の中で、ぼくは期待して、戊辰の屈辱の元凶は長州にあつたことが聞きたかつたけれども、そこまでは語られませんでしたね。