正月十二日(金)甲辰(舊十一月廿六日 晴、冷える

 

今日の讀書・・今日は古本市への出勤日です。有無を言はさずに出かけてきました。神保町の古書會館です。はたして、今日の出品内容は充實してをりまして、選ぶのが大變なありさまでした。 

最近は輕い、といつても重量がですが、和本の面白くて安いのを探してゐます。出會つたのは 『躄り仇口の段』 といふ、淨瑠璃の臺本なのでせうか、大きな文字で讀みやすさうなので求めました。二〇〇圓でした(註)。 

 

註・・歸宅して調べたら、正式には、『箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)』 といふ人形淨瑠璃の臺本のやうです。 ── 司馬芝叟作。1801年初演。飯沼(躄いざり)勝五郎が兄の敵討ちをした実説によるという。足が不自由になった勝五郎は妻初花とともに敵滝口上野こうずけを討つために苦難するが、箱根権現の霊験によって足腰も立ち、本懐をとげる。 

 

それと、古書會館をあとにして、晝食はいつのも鴨南蠻をいただき、八木書店に寄りました。今年初めての顔見せでしたが、いつもの優しいお兄樣方は出張でした。が、店頭の箱の中に、まあ、たたき賣りと言つたら叱られるかも知れませんが、けつこういい本がやすく出てゐるのですが、ぼくの目にとまつたのは、『古典について、冷静に考えてみました』(岩波書店) といふ論文集でした。期待はしません。でしたが、手に取つて、その中の 「『源氏物語』はいかにして〈古典〉になったか」 といふ文章を立ち讀みしてゐたら、これはじつくりと讀まねばならんと決心し、大枚五〇〇圓を支拂つて買つて、喫茶店で丁寧に讀みました。したら、最近讀みはじめた、『源氏大鏡』 や 『源氏小鏡』、『十帖源氏』、『源氏物語忍草』 などの正體が分かりました。

 

そもそも、書物といつたら、江戸時代まで、すべて漢籍(漢詩・漢文・漢文體記録類)なのでありました。これらこそが古典であり、時代が下るに從ひ、いはゆる文學(伊勢物語や源氏物語や方丈記、徒然草、また、榮華物語や宇治拾遺物語などの説話集等々)は、「假名(女手)」として一括され、書籍目録のすみに入れられはしましたが、古典とは目されもせず、末席を汚すがごとき扱ひに甘んじてゐました。 

ところが、その「假名」が、中世、といふことは、鎌倉時代から室町時代にいたるころですが、こんどは、「歌書」として分類されるやうになります。といふのは、この物語類を、當時の歌人たちが讀みはじめ、例へば、『源氏物語』 は、「物語として読まれると同時に、それ以上に和歌を生み出す母体、歌詠みに役立つ作品としての性格が決定的となり、『源氏物語』 は歌人、時代が下っては連歌をたしなむ人々の必読・必携の書となった」。

 

どうです、これで、『源氏大鏡』(この本では、どういふわけか肝心な、『源氏大鏡』 についての言及はありませんでしたが) と 『十帖源氏』 が、物語の筋は犠牲にしても歌だけはすべて掲載した理由が分かりました。それと、『源氏物語』 そのものが引歌のやうに用ゐられるやうになり、それを「源氏取り」と言ふやうなんですが、そのために、キーワード集のやうな性格も持つてをりまして、『源氏小鏡』 には、ところどころに、「八重葎」とか、「蟲の音しげき」とか、「宮城野の小萩」とか、まあ、歌人が好みさうな單語が羅列されてゐたりします。 

では、いつ 『源氏物語』 が古典とされるやうになつたかといふと、「『源氏物語』 の古典視は、入門書、啓蒙書というべき、上記のようなダイジェスト版によって支えられていたのではなかったか。それは、今日の現代語訳に相当する書物であった。」 とこのやうに結んでをりました。

 

といふわけで、この本は、ぼくには五〇〇圓でも安かつたです。また、『源氏大鏡』 や 『源氏小鏡』、『十帖源氏』、『源氏物語忍草』 などのくづし字本を讀みはじめて正解でしたね。このやうな貴重な本(すべて古本です)との出會ひがあるから、古本市通いはやめられないのであります。はい。 

それでも八〇〇〇歩近く歩いたので、歸りは總武線で新小岩驛で降り、例のこいわ軒でひれかつ定食をいただいて力をつけました。 

 

あれ、明日の準備がまだ殘つてゐました! 

 

今日の寫眞・・『躄り仇口の段』(「仇口」は、「仇討ち」の意味だとは思ひますが、これで正しいでせうか?) と 『古典について、冷静に考えてみました』。それと、新年はじめていただいたこいわ軒の店内。