正月十五日(月)丁未(舊十一月廿九日 晴

 

今日の讀書・・島内景二著 『源氏物語ものがたり』(新潮新書) を讀んで、あらためて、北村季吟の 『湖月抄』 がいかに重要な注釋書であることか、その理由を知ることができました(注)。それは、「細川幽齋たちが源氏学を集大成したのを受けて、それを『大衆化』することに成功」したものだつたのです。 

ぼくが、特に氣に入つたのは、本居宣長の 『玉の小櫛』 も讀まなければならないと思つてゐたところ、島内景二さんは、「『玉の小櫛』 は、源氏物語の本文を読もうとすれば、座右にあるいは机上に置いておかねば、一行たりともこの物語の解読が進まない」、と言ひつつ、「『玉の小櫛』 は、奇跡的な名著だが、源氏物語の本文が付いていないので、ちょっと見ただけでは、何が問題となつているのかが、よくわからない。そこで、宣長以後の人々は、『もののあはれ』論を高唱し、『湖月抄』 を批判した 『玉の小櫛』 の卓見の数々を、ほかならぬ 『湖月抄』 の〈頭注〉の中に追加してしまったのである。すると季吟の 『湖月抄』 は、驚くほど完璧になる」。とこのやうにおつしやつてゐるのであります。 

それが、『増注湖月抄』 であり、ぼくも、一年前のことですが、講談社學術文庫版(上中下)のその上卷をたつた三〇〇圓で求めたのでありました。これを使はない手はないと思ひました。ただ、文字が小さくて讀むのにはひと苦勞二苦勞するだらうなとも思つてゐるところです。

 

きょうは、それで、その冒頭の 秋山虔さんの 「『源氏』 味読のための理想的注釈書」 と題した解説を讀んだのですが、出てくる人物やら、著作やら、これが専門的で、島内さんの 『源氏物語ものがたり』 を讀んでゐなければたうてい理解できなかつたでせう。その意味からも、源氏をめぐる歴史を知るためにも、この 『源氏物語ものがたり』 は必讀書だと思ひました。 

 

さうだ、昨年六月に、《東京散歩 じゆんの一歩一》の〈コース番號8〉で、六義園をはじめて訪ねました。柳沢吉保が開いたと聞き、素つ氣なく見て回つただけでしたが、この六義園、「『古今和歌集』の序文に書かれている和歌の六種類の分類(六義)を網羅した」庭園であり、なんと、北村季吟が造園に關する提案をしてゐたんです。へえ~、ですね。 

 

註・・『湖月抄』 六〇巻六〇冊。北村季吟著。『源氏物語』 の注釈書。1673(延宝元)年成立。紫式部が石山寺に参籠して湖上に映る月を眺めて須磨の巻を書いたとする伝説に因んでの命名という。注釈五十四巻に、発端・系図・表白・雲隠説各一巻、年立二巻を付す。 

内容は、『源氏物語』 の旧注の集約的なものであり、季吟自身の注釈は控えめとなっている。本居宣長がこれを評して、「湖月抄はさきざきのもろもろの抄(注釈書)どもをあまねくよきほどに頭と傍とに引出で、師説・今案をもまじへ、すべてよるにたよりよきさまにぞ書きなしたる」。と述べたように、旧注の集大成的な意味をもっており、これにより、旧注のおおよそを知ることが出来る。江戸時代を通じて最も広く流布した本書は、『源氏物語』 の普及・研究の発展に大きく寄与した。 

 

今日の寫眞・・母がデイサービスで出かけたので、お晝は驛前のタカノでタンメン餃子をいただきました。ここは、二十四時間營業で、淸水や、濱岡や、川和や、伊豆にゐたときに、歸省したときにはよく入つてゐたところで、ついなつかしくて、また餃子が小さいけれども獨特のうま味があつて、ぼくは、天龍の次に好きな餃子です。その店の外觀。 

二枚目は、晝食後、ふらりと電車に乘り、京成八幡驛にさしかかつたところから見た、大黑家です。昨年の《東山會》の時にはすでに店を閉めてゐましたし、もう店をたたんでしまつたのでせうか。では、「荷風セット」が食べられないんですね? 

それと、堀切菖蒲園驛下り線ホームから見た靑木書店。と中吊り廣告。