正月廿八日(日)庚申(舊十二月十二日 曇天のち晴

 

今日の讀書・・書庫に入つてあれこれ見てゐたら、さうだ、『嫋々の劍』 を讀むのだつたと思ひ出し、さらに、小松左京の「女シリーズ」にも目がとまりました。でも、一度讀みはじめるととまらなくなりさうなので、ちよつと待ち、目をそらしたら、こんどは、茨木のり子さんの 『倚りかからず』 が迫つてきました。 

 

もはや 

できあいの思想には倚りかかりたくない 

もはや 

できあいの宗敎には倚りかかりたくない 

もはや 

できあいの学問には倚りかかりたくない 

もはや 

いかなる権威にも倚りかかりたくはない 

ながく生きて 

心底学んだのはそれぐらい 

じぶんの耳目 

じぶんの二本足のみで立っていて 

なに不都合のことやある 

倚りかかるとすれば 

それは 

椅子の背もたれだけ 

 

久しぶりに口ずさみました。「時代おくれ」もいい。 

 

車がない 

ワープロがない 

ビデオデッキがない 

ファックスがない 

パソコン インターネット 見たこともない 

けれど格別支障もない 

・・・ 

 

以上、途中までですけれど、身に沁みます。 

 

さて、今日も 『増註源氏物語湖月抄』 の〈賢木〉を讀みつづけました。そして、「靑表紙本」で讀み進んでゐたところまで讀むことができました。源氏が錯亂したやうに迫るのに耐えかねて、藤壺が出家を決意する、その直前のところまでですけれど、そこで、また新たなる發見がありました。 

十二月の二十八日のことですが、大野晋先生と丸谷才一さんの對談、『光る源氏の物語(上)』(中公文庫) を讀みました。その時引用したところは、今日讀んだところに關しての對談だつたのですが、その一部を再び寫します。 

 

大野 どうもこの卷は実事ありやなしやの論が多いみたいですね。(笑) 

丸谷 要するに、『源氏物語』 はそれなんですね。 

大野 そう。『源氏物語』 の作者はそれをあらわには書かないことをもって、彼女の信条としているんですから。 

丸谷 すると、源氏と藤壺の間は実事は三回あった。 

大野 少なくとも三回あったことになりますね。 

 

このとき、讀んでゐて、あれ、「実事」とは何かな、性關係のことに違ひないけれども、こんな言葉ははじめてでした。それが今日、 『湖月抄』 の中で使はれてゐた言葉であることがわかつたのであります。發見しました。 

源氏が藤壺に襲ひかかると、するりと逃げられ、「御髪が御衣とともに源氏の手に取り残されていた」といふ場面の「頭註」です。「【抄】えのがれ給はぬを云、されど此度實事はなかりし也」とありました。 

さらに、次の頁の頭註にも、「藤壺の 云ひのがれ給ふ詞を、しひてまげしたがはさんもおそれあれば、實事なくてかへり給ふ也」。「しいて宮のお言葉にお逆らい申すのも畏れ多く」、それで、實事まで強行できずに引き下がつたといふのです。お上品さうな源氏の君も、ちよいとやりすぎではないでせうか。 

このやうに、「實事」といふ言葉が使はれてゐたことを確認できただけでも、今日の収穫はありました。大野晋先生と丸谷才一さんはここからとつたに違ひありません。 

でも、注釋が書かれた當時も、本當にこのやうな言葉が使はれてゐたのでせうか。それでも、大野晋先生と丸谷才一さんにとつては、大きな聲でも語れる言葉なので便利だつたのではないでせうか。 

 

今日の寫眞・・東京新聞連載の 《ドナルド・キーンの東京下町日記》(一月十四日) の切り抜き、その下半分。