二月二日(金)乙丑(舊十二月十七日 雨のち曇天

 

今日の讀書・・今日も小松左京さんの短編集、『湖畔の女』 から、「待つ女」を讀みました。これも不思議な、といふか、ぼくなどにはまつたく縁遠い、「左褄」三代目の女性の物語。 

主人公の男が、「夜更けの廊下で」、間借りしてゐる妻の友人の後ろ姿を見かけ、聲をかける場面です。ぼくは何のことかまつたくわからないで讀み過ごしさうになりましたが・・・。 

 

「〝いとせめて・・・・〟ですか?」 

などと、いわでもがなの冗談をいってしまった。 

「まあ!」と田所さんはびっくりしたように顔をあげた。「ごぞんじなんですの?」 

「ええ。──私に姉が一人おりましてね。若いころに時々やっていましたよ。ええと、なんでしたっけね。・・・・・〝いとせめて、恋しきときは・・・・・〟」 

「〝──むば玉の、夜の衣をかへしてぞ着る・・・・・〟」 

そうすらすらとつづけると、突然田所さんは、今度こそぱあっと顔をまっかにして、両の袂で顔をおおい、くるりとむこうをむくと、小走りに離屋の方へかけ去ってしまった」 

 

わかつた方は、『古今和歌集』をよく讀んでをられる方ですね。五五四番のこの歌の意味は、「衣を裏返しに着て寝ると、恋しい人を夢に見る」といふ俗信に基づく歌で、例の、小野小町の夢の歌三首のうちの最後の歌です。つまり、田所さんは、このとき衣を裏返しに着てゐたんですね。それを主人公が見とがめたわけなのでした。 

と、まあ、このやうにして、戀しい人を待つ女のはなしがつづられていくのですが、ゾックゾックとくること請け合ひです。 

ちなみに、「左褄(ひだりづま)」とか、「左褄を取る」で、藝妓になるとか、藝妓勤めをするといふ意味の言葉です。左京さんの奥深さといふか造詣の深さをを感じることばが滿載の物語です。それなのに、左京さん、どう間違へたのか、〝いとせめて・・・・〟を、素性法師の歌としてゐるのです。素性さんの歌は、つぎの五五五番です。 

 

今日の寫眞・・上野動物園から見た五重塔と人氣者のゾウさん。