二月十八日(日)辛巳(舊正月三日 晴

 

今日の讀書・・東直巳・古沢良太・森晶麿著 『探偵はBARにいる3』 (ハヤカワ文庫)、一氣に讀了。これは、映畫化されたあとで書かれたもののやうですが、いつものやうに面白い。 

また、昨日の 〈東京散歩十九〉 のつづきを書きつづけました。調べながら書いてゐると、新しい發見があり、けつこう時間がかかつてしまひましたが、いい勉強になります。 

 

〈東京散歩十九〉つづき 

細長い東白鬚公園を南に抜けると、明治通りにぶつかりました。その隅田川にかかるのが白鬚橋ですが、その東詰交差點を對角線状に渡り、路地を抜けると、白鬚神社の裏に突きあたりました。ここも二度目です。隅田川の舊堤防跡が見られる珍しいところにあります。 

七福神の二つめ、「壽老神・白鬚神社」。壽老人ではなく、壽老神としてゐるところなんか意味深長ですが、容易に人が神になる我が國の風土ですから、驚くことはないのでせう。 

この先の路地をたどると、ほんの二、三分で向島百花園に着きました。「福祿壽尊・百花園」。芭蕉をはじめとする江戸の文人たちの足跡を多く殘す名園です。でも、ここは花の名所であつて、神社でもなければお寺でもないのに、なぜ七福神なんでせう。 

パンフレットには、「文化元年(一八〇四年)に開かれた百花園に集まる江戸の町民文化を代表する文化人達の発案で隅田川七福神巡りが始まった。福禄寿尊像は、開祖佐原鞠塢が百花園の草花にちなみ、本草の神として愛藏し信仰していたもの」 とありました。 

ちやうど梅まつりが開催されてゐて、ぼくも花を愛でながら甘酒をいただきました。

 

再び三度、墨堤通りに出て、子育地藏尊のかどをまた路地に入つてたどるあたりから、空が暗くなり、ぽつりぽつりと降り出してきましたが、ひどくはならなささうです。と、脇をみると、「榎本武揚旧居跡」 といふ説明板にでくはしました。 

さういへば、以前、東白鬚公園のなかではなく、墨堤通りを歩いたときに、その途中に、榎本武揚像が建つてゐました。晩年の武揚さんが過ごされた地のやうです。でも、波瀾萬丈の生涯を思ひ浮かべてみるとき、ちよいと違和感を持ちました。 

 

言問團子のお店をかすめ、川沿ひの裏手から、〈櫻もち〉の脇の階段をおりて、七福神四つめの、「辨財天・長命寺」 に入りました。このへんはガイドブックがたよりです。ここの境内、廣くはないんですが、たくさんの石碑がありまして、特に芭蕉の句碑が、スカイツリーを背景にして鎭座ましましてをりました。 

このとなりが、「布袋尊・弘福寺」。いや、じつに立派な山門と本堂です。門前に立つのに氣後れするほどです。てなわけではないのですが、見番通りをはさんだ向かひのそば屋が目に入つたので、おそい晝食をいただくことにしました。なにやらいはれがありさうなお店で、そばはもちろんですが、天ぷらが美味しかつたです。 (つづく) 

 

今日の寫眞・・白鬚神社。向島百花園の福禄寿尊碑と甘酒。長命寺の芭蕉の句碑とスカイツリー。弘福寺山門。「向じま 河原のあべ」の天ぷらそば。