二月廿三日(金)丙戌(舊正月八日・上弦 曇天

 

今日は、ぼくの七十一歳の誕生日です(ちなみに、妻の誕生日は、十二月九日)。 

誕生日になると、妻は、何か欲しいものある? と聞いてくれるけれど、もう小指を立てる氣力もありません。 

現在の關心事は、日本古典文學をくづし字で讀破することと、東京散歩一二〇コースの踏破といつたところでせうか。 

それと、掘り出し物を求めて、古本市を訪ね歩くことも入れておきませう。 

くづし字で日本古典文學を讀破することを第一にあげたいですけれど、これは讀破どころか、どこで行き倒れになるか、どこまで行き着けるか、よほど強い意志と健康を保ちつづけないと挫折は目に見えてゐます。

 

それでも今日は、誕生日を記念して古本市を探訪。神田の古書會館で、重量の輕い和本を探しあてました。『玉鉾百首解』(註) と 『妙好人傳』(三篇・四篇・五篇・續篇の各上下) です。後者の初篇と二篇(各上下)はすでに入手濟みでしたので、これで全篇揃ひと言つてよいでせう。最期を迎へるためのお勉強としたいです。

 

註・・『玉鉾百首』 本居宣長詠。古道精神を詠んだ100首と、「あまり歌」として歴史上の事件を詠んだ歌32首を載せる。万葉仮名で書かれていて、歌のために文字の数など制約もあり、読むのは困難。そこで門人たちが注釈を試みたが、完成したのは大平の『玉鉾百首解』2巻である。天明6(1786)頃成立。翌天明7年(1787)刊行。宣長思想を理解するためにも、また古代日本人の世界観とか価値観を知る上でも一読に値する。 

 

ところが、痛い齒は抜いたはづなのに、まだ齒の疼きがおさまらず、夕食を食べてゐる時には痛くて咬むことができません。途中で食べるのをやめて、すぐに横になりました。やはり、ブリッジの支への齒がわるいのでせう。散々な誕生日でした。 

 

今日の讀書・・くづし字での古典文學讀破の一册、能因本の 『枕草子』 を讀みはじめました。かつては、と言つてもつい先日までですが、つまらない内容だなと思つてゐましたけれど、『はなとゆめ』 を讀んだからでせうか、たしかに内容はたわい無い日常のことなんですが、それが愛ほしいと言ふか、切なさをともなつて胸に染みてくるんですね。悲劇の中宮、定子さんのそばに仕へた淸少納言であればこそ描けた世界だと思ひます。 

 

今日の寫眞・・今日求めた自分へのプレゼントの和本。と、切り抜き・《薩長史観を超えて》の最終回。