二月廿六日(月)己丑(舊正月十一日 晴のち曇り

 

晝前、昨日送つてもらつた本が屆きました。田中重太郎著 『枕冊子全注釈』(上中下、三册で八〇〇圓!) など一箱ですが、妻はもう何も言はなくなりました。あきらめたのか、ぼくの最後の樂しみを大目に見てくれるやうになつたのか、寛大になつてくれたのであればうれしいのですが。 

ところが、會津・喜多方散策旅行の準備をしはじめたら、肝心の地圖がないことに氣がつきました。それで、靑砥驛構内の文教堂を訪ねましたが置いてありません。仕方なく、そのまま神保町へ行き、三省堂で求めました。地圖は三省堂が充實してゐます。東京堂も書泉もほとんど置いてをりません。 

歸路、文庫本二册一〇〇圓の店があつたのでぞいたら、澤田ふじ子の文庫が大量に出てゐたので二十數册求めてしまひました。安いけれど重くなつてしまひました。

 

神保町からは、歸路、いつも惱むのですが、今日は都營新宿線で船堀驛に出、バスを乘り繼ぎ、途中の新小岩驛前の〈すし三崎丸〉で食事をして歸りました。 

都營の地下鐵とバスの乘り繼ぎだと、だいぶ遠回りにはなるのですが、パスがあるので支拂ひせずに歸ることができるのです。 

 

今日の讀書・・松本健一の 『仮説の物語り いかに事実を発見するか』 を讀了。「同一の事実(史料)から、読み取る者の読み方や思想によって、異なった物語が構成される」といふところなど、實に面白く敎へられました。 

また、阿川弘之の 『国を思うて何が悪い』 を讀みました。昔のぼくだつたら見向きもしなかつたでせうが、一〇〇圓といふこともあつて、たうとう手にとつてしまひました。まるで、半藤一利さんを讀んでゐるやうな感じで、これは面白いと思つてゐたら、なかばをすぎたあたりからは文壇内の話が多く、どうも嫌な内容になつてきました。 

 

今日の寫眞・・神保町で求めた、二册で一〇〇圓の文庫本。松本健一著 『仮説の物語り いかに事実を発見するか』 と、阿川弘之著 『国を思うて何が悪い』。

それと、新小岩驛前の〈すし三崎丸〉でいただいた、夕食のすし。シャリ少なめが美味しい。