三月(彌生)一日(木)壬辰(舊正月十四日 雨のちやむ

 

「會津・喜多方散策旅行」二日目。起床後朝風呂に入り、朝食のバイキングも美味しくいただくことができました。 

九人乘り觀光タクシーを呼び、ホテルを九時出発。

 

まづ、「戊辰戦争に散った233人の女性を祀った奈与竹の碑」と西鄕賴母の墓がある善龍寺を皮切りに、積雪に埋もれた、七日町のキリシタン塚を訪ねました。「蒲生氏郷が、キリシタン大名でああたため、その知行地には、多くのキリシタンがいた。1632年に処刑されたキリシタンを弔っている」といふわりには、『会津若松市都市図』にも載せられてをらず、とても小さな塚でした。 

それから、ほど近い、「中野竹子殉節之地碑」。中野竹子が戰死した場所です。長刀を振るつてゐるお姿が勇ましい! 

つづいて、如来堂。このあたりは會津市内から北西部の郊外と思はれ、集落が雪原に島のやうに點在してゐます。そのひとつの島が神指町如來堂です。その入口には、「神指城跡・新選組殉難地」とあり、「斎藤一を隊長とする会津に残った新選組最期の戦いの地」です。明治以降も、斎藤一は、ここで死んだと思はれてゐたやうです。 

 

さて、快適なマイクロバスの旅はここまでで、會津若松驛一一時二分發の列車で喜多方へ向かひました。喜多方はぼくにとつてははじめてです。 

藏の多い落ち着いた町といふ第一印象です。道路はすでに除雪されてゐましたが、藏の上には分厚い雪の斷面が重なり合つてゐて、豪雪時には生活するのもたいへんだらうなあといふ、ありふれた感想が浮かんできました。

 

コースは、ふれあい通りを南から北へ向つて歩き、煉瓦藏ののこる若喜商店をはじめ、外觀を眺めるだけでも樂しい町竝を、舊甲斐家藏住宅までたどりました。さういへば、舊甲斐家藏住宅も若喜商店の煉瓦藏も國登録有形文化財なんですね。 

歸路立ち寄つた大和川酒造といふところがまたすごい。そこで作られた純米大吟醸酒の「いのち」といふのが、一升瓶で一五七六八圓といふのには驚きました! 

 

喜多方驛近くの喫茶店で時間を調整して驛に着いたら、強風のために列車が三十分も遅れるといふのです。それで、會津若松驛についたら「打ち上げ」する豫定でしたが、高速バス組はできても、列車組はすぐに郡山驛行きの列車に乘らなければなりませんでした。ちよつと落ち着かない解散となりましたが、次回の計畫も立てられましたし、それぞれによき思ひ出をいだいて歸路につくことができたと思ひます。

 

ぼくは、森さん川野さんとともに、郡山驛から東北線を乘り繼いで歸りました。會津は積雪で一面眞つ白でしたが、中山峠を越え、郡山に出たら地表は枯れ葉色、明るい日差しも手傳つてか、裏からいきなり表に出てきた感じに襲はれました。 

上野驛到着は八時一〇分。歩數は、昨日が一〇八〇〇歩。今日は一三〇五〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・「奈与竹の碑」。「キリシタン塚」。「中野竹子殉節之地碑」。「新選組殉難地」入口。喜多方へ向かふ列車から見た雪原。大和川酒造の藏。