三月八日(木)己亥(舊正月廿一日 雨

 

今日の讀書・・會津の旅から歸つてから、ちよいと心臟の鼓動が亂れがちなんですが、齒の痛みが治まつてきましたので、ここいらで氣持ちを引き締めるために、これからの讀書と勉強の計畫を練り直しました。

 

まづは、讀書の一番太い柱である、編年體歴史記録を讀むこと。『六國史』 につづいて、『日本紀略』 が終り、以後は、『史料綜覽』 を軸に、『百錬抄』、『吾妻鏡』、それに、鎌倉時代から室町時代にかけて書かれた軍記物語(註)も含まれるでせう。讀み進んでいけばいいことですが、ここで小休止の状態となつてゐます。いづれ再開しなければなりません。

 

それと、中太の二つめの柱、くづし字(複製・影印)で、日本古典文學の原典を讀むこと。誕生日を迎へた日から、『枕草子』 を讀み進んでゐるところですが、『源氏物語』 を、「紫上系」の〈賢木〉までと、「玉蔓系」〈帚木〉の卷、〈雨夜の品定め〉の途中まで讀み進んでゐることは念頭においておきたいと思ひます。くづし字については、他に、『古今和歌集』 や 『好色一代男』、『妙好人傳』 等、手當たり次第に讀めるものは讀んでいきたい。

 

第三の柱、これはイージーリーディングと呼んでもいいでせう。最近では、藤澤周平や澤田ふじ子、船戸與一や森詠など、手當たり次第に讀んでゐますが、少しは系統づけて讀んでいきたい。澤田ふじ子のシリーズものと、淺田次郎の新選組三部作が候補にあがつてゐたのですが、本箱を改めて調べたら、北方謙三の「南北朝」ものが束になつて出てきたので、すぐに、これだなと決めてしまひました。

 

『太平記』 を讀むには、まだそのあひだに讀むべきものが山積してゐますし、新選組や幕末ものは單發で讀むにはいいにしても、浸りきつてしまつてはまづい。それで、平安から鎌倉を飛び越えての南北朝といふことですが、鎌倉は大筋がつかめてゐますが、南北朝はほとんど未知の世界なので、北方版「南北朝」で概略をつかんでみたいと思つたのでありました。 

『武王の門』、『破軍の星』、『陽炎の旗』、『悪党の裔』、『道譽なり』、『楠木正成』 の六册です。『武王の門』 は、後醍醐天皇の皇子、懐良親王が主人公で、都から落ちのびて、伊豫の忽那島を足掛かりに、九州全土を平定していく話です。面白さうではありませんか。 

それがまた、『史料綜覽 卷六 南北朝時代之一』 を開いたら、讀みはじめた最初の部分のことが、史實として記事が遺されてをりました。

 

「南朝興國三年(一三四二年)五月一日 征西將軍懐良親王薩摩ノ津ニ著シ給フ、尋デ、某、之ヲ宇治惟時、惠良惟澄ニ告ゲ、開戰ヲ待チテ、後援ヲナサシム」

 

とまあ、これなら 『史料綜覽』、さらには初登場の 『後鑑』 と 『續史愚抄』 を參照しながら、といふことは、その時代の他の動きも視野に入れながら讀めると思ひました。面白い小説を讀みつつ、歴史の勉強にもなるといふ一石二鳥となるでありませうか。ただ、北方版「南北朝」は、時代に沿つて執筆されてゐないので、その點は考慮に入れておかなければなりません。 

 

註・・「軍記物語」 日本古典文学の一ジャンル。軍記物,戦記物語ともいう。合戦を中心に、ある一時期を描いた叙事文学、歴史文学の一種。語り物として琵琶法師、物語僧によって語られた。平安時代に漢文体の 『将門記』、『陸奥話記』 がある。鎌倉時代には 『保元物語』、『平治物語』、『平家物語』 がつくられ、次いで承久の乱を扱った 『承久記』 が書かれ、合せて「四部合戦状」と呼ぶ。南北朝時代末には 『太平記』 が出たが、のち軍記物語は衰え、・・・江戸時代初期の 『太閤記』、『信長公記』 も、その流れとみられる。 

尚、「軍記物語」は、ほとんどが、『群書類從』 の《合戰部》におさめられてゐます。その、數、なんと一八〇種です!

 

今日の寫眞・・北方版「南北朝」と淺田次郎の新選組三部作。