三月十七日(土)戊申(舊二月朔日・朔 晴

 

今日の讀書・・神田と五反田の二つの古書會館をはしごして、思はぬ本と出會ひました。 

ひとつは、和本の 『湖月抄』 です。北村季吟によつて、延寶元年(一六七三年)に書き上げられ、同三年に出版された、『源氏物語』 の注釋書です。今日發見したのは、二帖合本の和本ですから、もつと後に印刷されたものかも知れません。 

それが、ちやうど、〈賢木・花散里〉と〈須磨・明石〉の二册でした。「紫上系」十七帖の〈賢木〉まで讀んできましたから、ちやうどこれから讀む卷々でありまして、かうして出會へたのは奇遇なのか、それともお導きなのか? 

ただ、よれよれで汚れもあるので、橫になつて讀むことはできさうにありませんね。まあ、それぞれ二〇〇圓でしたから、文句は言へませんが。

 

ふたつめは、『久米邦武歴史著作集』(全五巻 吉川弘文館) の第二卷と第三卷です。特に、第三卷のはうには、「太平記は史学に益なし」といふ、よく問題にされる論文も収められてゐて、原文にあたることができます。でも、難しさうです。 

ぼくがほしいのは、久米邦武が明治天皇の全國巡幸にお供したときの 「巡幸日記」なんですが、アマゾンで探したら、目が飛び出るほど高價でした!

 

それと、明治十四年に出版された、『師範學校編輯・文部省刊行 日本略史』 といふ和綴じの教科書の上下本です。これも各二〇〇圓。「翻刻」(上は明治八年、下は十四年翻刻)となつてゐますから、それまであつた寫本か刊本を底本として覆刻したものなんでせう。その下卷の、後醍醐天皇が即位した一三一八年から、後村上天皇が没する一三六八年までの五十年(二十五頁)を讀んでみました。 

北方版「南北朝」では、後々の卷に登場するのでせうが、有名無名の人物とともに、懐良親王も菊地武光も出てきて、南北朝史の流れがどうにか把握できました。

 

忘れるところでしたが、五反田で、『鎌倉遺文』を求めて、送つてもらつたのでした。全四十二卷のうちの十三卷+索引三册ですが、まとめて三〇〇〇圓でしたので思ひ切りました。(註・・『鎌倉遺文』(かまくらいぶん)とは、鎌倉時代の古文書の網羅を目指して編集された史料集。竹内理三編。古文書編42巻、補遺4巻、索引編5巻。東京堂出版刊)  

 

歸路、五反田驛から淺草線で靑砥驛、高砂驛經由で金町驛に出、中央圖書館で、先の教科書を讀みました。さらに、龜有驛前の居酒屋で肥後(熊本)の馬刺しが食べられるといふので寄つてみましたが、やはり町田の柿島屋のはうが美味しいことがわかりました。

 

今日の寫眞・・『湖月抄』 〈賢木・花散里〉と〈須磨・明石〉の二册。『師範學校編輯・文部省刊行 日本略史』 の懐良親王が登場する頁。『鎌倉遺文』。肥後の馬刺し?