四月十日(火)壬申(舊二月廿五日) 

 

今日も出かけてきました。東京散歩です。その〈コース番號22〉で、日暮里驛から都營地下鐵白山驛まで歩きました。 

ガイドブック 『東京 山手・下町散歩』(昭文社) に從つて歩きはじめてちやうど一年になりますが、全一二〇コースのうちまだ六分の一を歩いたにしかすぎません。目的は東京の歴史探訪とともに、健康維持の散歩ですから、せめて週に一度と願つて行つてきましたが、怠慢でした。

 

今回のコース名と内容─「御利益探訪 谷中・白山 日暮里駅~白山駅 谷中から根津、白山にかけては、数多くの寺社が集中する一帯。厄除けの根津神社を中心に御利益祈願めぐりを。坂道も多く、お化け階段や夕焼けだんだんなどの味のある道を行く。〔所要〕3・5時間」。  

このあたりは、實は、何度も歩き回つた地域なんですが、しかし實際に歩いてみて、ほとんどがはじめての道でした。ガイドブックに從ふ意味はこんなところにあるやうです。

 

JR日暮里驛を九寺五〇分スタート。御殿坂、夕燒けだんだん、谷中銀座の通りを途中で左折。ここからはコースにしたがつて紆余曲折。谷中から根津、向丘、そして白山。白山神社がしめくくりでしたが、寺社めぐりとも言へる散歩でした。 

寺社については、いちいち記録しませんが、中には、「喘息除」や「足病平癒」、「除厄安産」、「虫封じ」、「縁結び」などととあつて、これらを御利益として祈願しつづけざるを得なかつた庶民の願ひがわかるやうな氣がします。まあ、今も變はらずでせうし、ぼくの病だつて子どもの時からですから、神佛との關はりで問はなかつた時はありませんです。はい。

 

さて、その病が足を引つぱつてゐるのか背中を押してくれてゐるのかはわかりませんが、今日の坂道と石段の多いのにはまゐりました。初つ端は驛前からはじまる御殿坂。谷中の夕燒けだんだんに螢坂、井戸のある石段、異人坂にお化け階段。谷川だつた不忍通りを境に、東西の臺地には無數の坂道と階段がありまして、これらが谷根千の特徴であり、魅力なんでせうね。

 

その他、谷中のシンボル・『美しい日本の歴史的風土100選』にも選ばれたといふ「ヒマラヤ杉」とその根元にある「みかどパン店」、つつじが見ごろの根津神社、海藏寺にある富士信仰の中興の祖として知られた身禄行者の墓、高島秋帆墓所再訪、それに、舊中仙道を越えて、淨心寺坂(於七坂)を下つたところにある八百屋お七(註)の墓のある圓乘寺には驚きました。 

二〇一三年一月、中仙道を歩いた時にはあつた立派な石碑と江戸時代の商店の商號やらが刻まれた石垣が崩されてゐたのです。工事のやうですがなんともつたいないことをするのかと思ひました。出てきたお寺の方に聞いても處分したと聞いてゐると言ふだけですよ! 整備されるところもあれば、破壊されてしまふところもあり、氣をつけて見守つてゐなければ後の祭りといふことになるでせう。 

 

註・・八百屋お七(寛文8(1668)? -天和3(1683)328) 江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし、火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の 『好色五人女』 に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。 

 

最後の白山神社には、門をくぐつた左手に、孫文の碑がありました。孫文は一時この邊りに住んでゐたことがあつたさうです。境内を通り抜け、南參道の長い石段を下りると商店街に入り、左へ曲がつてしばらくするとゴールの白山驛でありました。 

このやうに、たしかに「味のある道」や寺社が盛りだくさんでしたが、實に息が切れるコースでした! 一二時三〇分到着。正味、八九八〇歩。寄り道して歸宅したら、一七九〇〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・「ヒマラヤ杉」とその根元にある「みかどパン店」、井戸のある石段、根津神社のつつじ、海藏寺にある身禄行者の墓、八百屋於七之墓、白山神社の「孫文先生座石」碑。