四月十三日(金)乙亥(舊二月廿八日) 

 

《東京散歩》〈コース番號23〉つづき

 

こんにやくゑんま前の丁字路附近はたいへんにぎやかなところで、晝時だつたこともあるのでせう、つぎの目的地の善光寺坂までは人を避けながら歩くのがやつとでした。小石川3丁目の丁字路を左折した先が善光寺坂でしたが、曲がるやいなや人通りがまつたくなくなりました。 

日差しがきつくなり、かなり息を切らして上つていくと、善光寺の山門、さらに上ると、慈眼院、そして大きなムクノキの向かいに、ここも訪ねてみたかつた、幸田露伴の舊宅で、跡かと思つたら、表札には、「幸田・靑木」とあるご立派な邸宅でありました。 

慈眼院には、芭蕉の歌碑が建ち、小ぶりではありましたが、とてもきれいな藤の花が滿開でした。

 

次は、小石川植物園でしたが、途中に、井上哲次朗宅跡があるやうなので寄り道したところ、すでに公園になつてゐました。家屋は戰災で焼失してしまひましたが、書庫であつた土藏だけが二棟まぬがれ、現在に殘つてゐたのであります。感激! 

 

お辨當、といつても、門前のパン屋で買つた蒸しパンとおだんごを、植物園のカエデ並木のベンチでいただきました。意外に美味しい蒸しパンでした。 

入場料は四〇〇圓。見るべきものがあるやなしやなんて、高ぶつた氣持ちで坂道を上りつめると、そこからはフジやカエデやサクラの林につづく大木の森です。壓倒的な迫力です。ゆつくりと、木肌に觸れながら、クスノキやイチョウ、ボダイジュ、スズカケ、ユリノキ、タイサンボク、サルスベリの並木なんて、根元で一日中寢轉んでゐたい氣持ちになりました。ぼくは、縄文人の系統のやうですので、大木に圍まれた森の中で、自分の居場所を得たやうな穏やかな氣分に滿たされました。

 

まだ園内の半分しか歩いてゐません。高臺から池のある平地に下りて、こんどは正門に向かつて、今までの苦行僧のやうな歩みが、少しは輕やかになることを願ひつつ、木立のなかを歩くことができました。四〇〇圓は安い! 

 

あとはおまけのやうなものでした。小石川4丁目の吹上坂を上り、3丁目に向かふと、そこは傳法院。期待してゐた寺院でしたけれど、味も素つ氣もないお寺でした。一世を風靡した浪越徳治朗さんの像を見たり、永井荷風が生まれ育つた場所を訪ね、安藤坂を下ると、もう後樂園でした。 

小石川後樂園は、今回はパスして、眞つ直ぐ飯田橋驛に向かひました。午後四時五分到着、正味、一七六一〇歩。歸宅したら、一九六〇〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・幸田露伴の舊宅とムクノキ、井上哲次朗宅跡、植物園のカエデ並木、ニュートンのリンゴの木、大木の森、舊東京醫學校本館をバックに日本庭園の池とフジ。