四月廿六日(木)戊子(舊三月十一日) 

 

北方謙三著 『陽炎の旗』 讀了。確かに、『武王の門』 の續編でした。西征將軍宮・懐良親王の皇子・月王丸とその子・竜王丸が、南北朝統一といふ夢をいだゐて、しかも、朝廷を廃して自ら國王となる野望を抱く三代將軍足利義滿をこらしめ、その夢を實現させていくといふ内容であります。 

ただ、史實とかみ合ふところがつかみきれず、やはりフィクションにかたよつてゐるからなのかなと思ひました。『史料綜覽 卷七 南北朝時代之二・室町時代之一』 で確認できたのは次の二箇所だけでした。 

 

南朝元中六年・北朝康應元年(一三八九年)二月 是月、高麗ノ賊、對馬ニ寇ス 

 

物語では、月王丸が幕府に對し、その威力を示すために對馬を襲ふ場面です。史料では、「高麗ノ賊」とありますが、本據地を九州から大陸に移してゐた西征將軍宮の後裔ですから、幕府側からみたらさう言はざるを得なかつたでありませう。もう一つは、その直後 

 

同年三月四日 義滿、嚴島ニ詣セントシテ、京都ヲ發ス 

同年三月十一日 義滿、嚴島ニ着シ、社參ス 

 

この船旅の間に、義滿は月王丸の船團に襲はれ、直々に對面してきた月王丸から、野望を捨てることと南北朝の統一を迫られるのであります。これによつて、義滿は野望を捨てざるを得なくなりますが、そのかはり、朝廷を統一することによつて、明と朝鮮の交易ができるやうに、これはすでに貿易商のやうな立場にあつた月王丸のもうひとつの夢であつたわけですけれど、たしかに年表によると、「應永八年(一四〇一年) この年、義滿、使いを朝鮮に派遣」とあり、高麗滅亡後建國されたの李氏朝鮮との貿易がはじまるんですね。 

ちなみに、南北朝統一についての箇所を見ておきませう。 

 

南朝元中九年・北朝明德三年(一三九二年)十月廿五日 南北兩朝和ヲ講ジ、北朝、神器歸座ノ日ヲ卜定ス 

北朝、人ヲ吉野ニ遣シテ、神器ヲ迎ヘ、大内義弘ヲシテ、車駕ヲ迎ヘシム 

同月廿八日 後龜山天皇、吉野ノ宮ヲ發シ給フ 

閏十月二日 後龜山天皇、京都ニ還御、嵯峨大覺寺ニ入御アラセラレル 

同月五日 後龜山天皇、神器ヲ後小松天皇ニ讓ラセ給フ 

同月同日 後龜山天皇ヨリ、三種神器ヲ受ケ給ヒ、内侍所ニ、三箇夜御神樂ヲ行ハセラル 

 

かうして合體し、後小松天皇に皇位が統一されたといふことなのであります。 

つづいて、四册目、『悪党の裔』 に取りかかります。まあ、時代が前後するのは、著者の考へがあつてのことでせうから、おつき會ひするしかありませんね。