四月廿八日(土)庚寅(舊三月十三日) 

 

昨日は六二〇〇歩しか歩けませんでしたので、今日も散歩に出かけました。はじめ、《東京散歩》〈コース番號25〉 を歩くつもりでゐたんですが、からだが重たく感じたのでやめて、あちこち氣のむくままに歩いてみました。

 

利用した乘物は多岐におよびました。 

我家─(妻の車)→綾瀨驛─(千代田線)→新御茶ノ水驛─(JR總武線)→高圓寺驛─(バス)→練馬驛─(西武線・有樂町線)→市ヶ谷驛─(新宿線)→神保町驛─(新宿線)→本八幡驛─(京成線)→お花茶屋驛─(徒歩)→歸着。で、七六〇〇歩でした。 

 

今日は、高圓寺の古書展で、一册一〇〇圓の平臺から 『日本の合戦2 南北朝の争乱』(人物往来社) といふ、地圖や圖版が多いので求めた參考書だけで、収穫らしきものはありませんでした。 

ただ、そこで見かけた、『竹斎物語集』(近世文藝資料) といふ影印本が、上下揃ひでたつた五〇〇圓なのを見て、すでに入手濟みでありつつも、分册用に欲しいと思つてしまひました。といふのも、ばらして分册にすれば持ち運びがよくなるからですが、歸宅してから、惜しいとは思ひつつ、手持ちの本をカッターナイフで切り離してみました。 

内容はもう申し分ないほどの面白さ。藪醫者と下僕とのとんまな道中記です。それ以上に、たまに出てくる難しい漢字以外はすらすらと讀めるのが樂しい。あんちよこに、岩波文庫(『竹斎』)があるのも助けになります。 

 

註・・『竹斎(ちくさい)』 江戸初期の仮名草子。2巻。烏丸光広の作とする説もあるが、伊勢松坂生れの江戸の医師磯田道冶とする説が有力。1621年―1636年ごろまでの間の成立で、写本、木活字本、整版本などの諸本がある。京の藪医者竹斎が、にらみの介という下僕(郎党)をつれて江戸へ下る途中、名古屋で開業したりしながら、さまざまな滑稽を展開する話。啓蒙的色彩も強い。滑稽とともに名所記風な味をもち、《東海道名所記》から《東海道中膝栗毛》まで影響を与えた。 

 

今日の寫眞・・中央が切り取つた、分册の 『竹斎』。