二〇一八年五月(皐月)一日(火)癸巳(舊三月十六日) 

 

北方謙三著 『悪党の裔(下)』 讀了。皇子大塔宮・護良親王を見殺しにした後醍醐天皇への失望落膽の故とはいへ、足利尊氏に加擔しつつも、播磨の惡党として生き抜いた赤松圓心のストイックな生き樣がじつによく描かれてゐました。 

北方謙三の著作は、中國古典もののうち 『三國志』 だけしか讀んでゐないのをのぞけば、ほとんど讀んでゐますが、全作品を通して言へることは、このストイックな生き方を追及してゐることでせうね。ぼくと同い年でもあるし、アウトドア的でもあるし、ぼくが生きられなかつた人生を補完してくれてゐるやうで、讀みつづけたい作家です。

 

で、本書についてですが、南北朝統一といふ夢を實現させるべく活躍した主人公を描いた前作とは、時代が前後してゐますが、どうして朝廷が南北に分かれてしまつたのかが語られてゐて興味深いものがあります。それも、圓心の、尊氏に述べたちよつとした進言によるのだといふところなど、史實的にはどうなのかと詮索したくなりますが、筋は通つてゐます。 

數行しか記さない史料のすきまを埋めつつ、主人公を生き生きと描き切る力量には脱帽です! つづいては、北方版南北朝の五冊目の 『道誉なり』 に入りますが、その前に、『竹齋』 を影印で讀みはじめました。 

 

「やぶくすし」の竹齋と郎党(下僕)のにらみの介が、「諸國めぐり」にあたつて、京都見物と洒落込んでゐる場面からはじまります。祇園林、淸水寺、豐國大明神、誓願寺、和泉式部の舊跡、鮹藥師などをめぐり、北野天滿宮にやつてきた時のことです。 

大道藝といふのか、仲間が集まつての餘興か座興なんでせうが、蹴鞠をするグループが大騒ぎしてゐるかと思へば、遊女と若者たちが三味線胡弓にあはせて歌の競演。その中に、連歌座敷までが廣げられ、當時の連歌の樣子が描かれて、これはいい勉強になりました。 

 

又ある方を見てあれば、連哥座敷とうち見えて、唐筆、大花櫚の文臺に、色よき懐紙をおりかさね、執筆(記録係)と見えし若男、衣紋氣高く引つくろひ、慇懃氣にもさし出て、宗匠(連歌の師匠)座上に直りければ、連哥はじまりぬ。或は古句難句を出しつつ、おし返さるる人も有。あるひは表八句のうち、神祇釋教戀無常、名所々々殘りなく、餘さず洩さず出しける。宗匠懐紙に留めざれば、「かかるむづかしき連哥こそ、一ごのうちの初めぞ」とて、座敷を立ちし人もあり。たびたび竹を出しつつ、「又もや竹の句なり」とて、どつと笑はれ腹を立ち、顔を赤めて雑言し、泣まなこにぞなりにける。此竹齋も立よりて、哥道は知らねど腰折れを、一首つらねりけり。 

   長短(ながみじか)知らざるほどの連哥師が上手にあふてたけくらべする 

宗匠申しけるやうは、「不覺な方々、哥道は諸道を知るといへば、修行少くして哥道は學びがたし。云々」(日本古典全書 『假名草子集 下』 の翻刻による) 

 

とまあ、こんな具合ですが、このなかには、連歌を知るためのヒントが盛りだくさんですね。けれど、いきなり顯微鏡でのぞいたみたいでしたので、我が書庫を漁りまして、連歌關係の書籍をさがしました。すると、この日のために求めておいた良書(?)がざくざくと出てまゐりました。 

 

まづ、『研究資料日本古典文学 第7巻 連歌・俳諧・狂歌』。はじめの解説と、「菟玖波集」(一三五七年)、「新撰菟玖波集」(一四九五年)、「竹馬狂吟集」(一四九九)、それに、「犬筑波集」(一五二〇~三〇年代)の項目を讀みました。 

つづいて、ノートルダム清心女子大学古典叢書の、『新撰菟玖波集』 の上中下卷。影印ですから、はじめの數首を讀んだだけ。 

つぎは、『研究資料日本古典文学 第7巻』 でも取り上げてゐた、『竹馬狂吟集 靑山本』(和泉書院)。五年前、定價は四千園ですが、古本市で八〇〇圓で求めたくづし字本です。これは、連歌の世界では外すことのできない書物のやうで、三頁ある序文を讀んでみました。 

「つくはの山の、このもちかのもち、くわぬ人も侍らぬ折なれは」、とはじまるのですが、この冒頭は意味深長で、實は、數年前に出た、新撰菟玖波集』 で除外されてしまつた、滑稽なおかしみのある誹諧連歌をまとめましたので、お讀みくださいといふ挨拶なんですね。 

『菟玖波集』 ではまだ未分化で、まあ言つてみれば寄せ集め的な撰集でしたが、時代が下るにしたがつて、洗練されてきたのでせう、その自覺のもとで、不謹慎な連歌が排除されてしまつたのであります。それを反骨の編者がまとめあげたのが 『竹馬狂吟集』 なんです。

 

さいごに、眠い目をこすりながら讀んだのが、角川文庫の 『犬つくば集』 の解説です。「『犬つくば』 の書名は、『菟玖波集』 に似て非なる集といふ卑下の意」でして、明らかに、『竹馬狂吟集』 に連なるおもしろ誹諧が滿載ですよといつたところでせうか。これでだいたいがつかめました。 

ためしに、その初めの一首。 

霞のころもすそはぬれけり  

   佐保姫のはるたちながらしとをして 

註によれば、「すそがぬれたのは、春の女神である佐保姫が立小便したからだろう」とあります! 

あれ、光嚴天皇の「連句」學習への興味から、だいぶはなしが飛んでしまひました! 

 

註・・『竹馬狂吟集(ちくばきょうぎんしゅう)』 室町後期の俳諧連歌の撰集。撰者未詳。1499年(明応8)成立。発句と付合の二部編成の全10巻一冊で、発句20、付句217句を収める。初めに序文があり、あえて俳諧連歌を集めた意を述べる。『犬筑波集』とも共通する句が多くみられ、その先蹤としての史的価値が高い。唯一の伝本が天理図書館に所蔵される。近世初期の俳書にその名がみえるが、やがて知られなくなっていたもので、1960年(昭和35)にみいだされ、俳諧連歌最初の撰集として注目された。 

『竹馬狂吟集 - 青山本』 明応八年(一四九九)の序をもつ『竹馬狂吟集』。従来、唯一の伝本であった天理本に対して、それをそっくり模写した青山本は、天理本の成立時期や難読箇所の判読に新しい光を当てることになった。影印に翻刻・索引・解説を付す。俳諧史研究のスタートを確定する根本資料。 

 

今日の寫眞・・我が連歌本!