五月六日(日)戊戌(舊三月廿一日) 晴のち曇り、風

 

今日も寢轉んで終日讀書。『道誉なり(下)』 を讀み終はりました。 

讀んでゐて感じる最大の特徴は、これまでの四冊にも言へることですが、解説者の口を借りて言ふと、「一切の説明を放棄して疾走していくかに見える書き方」でせうね。どういふことかと言ふと、「本書を貫く時間軸は、鎌倉幕府滅亡(一三三三年)後、足利尊氏が没する(一三五八年)までの二十五年間に及んでいる」のですが、「作者は一度として年号の記述を行っていない」のです。ましてや、「何年何月、何々といふ事件が起こった、というような説明口調は決して登場しない。読者は、いきなり、作者の手によって動乱の南北朝に拉致され、その渦の中心ともいうべき人物、佐々木道誉と面突き合わされることになるのである」。 

これで、どうして早く讀めるかがわかるでせう。物語の奔流に卷き込まれてしまふと、「動乱の南北朝に拉致され」たごとく抜け出ることができなくなつてしまふからであります。 

ただ、ぼくは、できるだけ歴史史料と照らし合はせながら讀んでゐるので、これは、「一三五二年閏二月の南北朝の和議破れ南軍入京」の出來事だな、と確認をおこたらないやうにしてはゐますが、できればのめり込んでゐたい氣分です。

 

それと、氣がついたのは、非農業民の活躍であります。『武王の門』 では海の民と山の民、『破軍の星』 では山の民、『陽炎の旗』 では海の民、『悪党の裔』 では山の民、そして本作でも山の民。網野さんの學説が生かされてゐるのでせう。さう、また忍びも敵味方双方で大活躍。活躍といへば、道譽のまはりには藝を生業とする人々が集まり、猿樂や田樂、連歌も登場してじつに多彩です。 

連歌と言へば、「関白二条良基が撰した連歌集を、勅撰に準じさせ」たのは、佐々木道譽だつたことを敎へられました。最初の連歌撰集となつた 『菟玖波集』 がそれです。一三五六年のことです。

 

つづいては、第六册、北方版「南北朝」の最終卷、『楠木正成』 です。楠木正成はすでに何度も登場はしてゐるのですが、それをどのやうにまとめあげ、仕上げてゐるのか樂しみです。 

 

今日の寫眞・・今日のモモタとココ。さう言へば、今朝、堀切菖蒲園の園内で捕獲したノラネコの親子を、明日病院へ連れて行くまでの間預かつてゐます。子ネコは二匹、もう三ヶ月になるとはいへ、とてもかわはゆい!