五月九日(水)辛丑(舊三月廿四日) 雨降つたりやんだり

 

今日も寒い。いや、昨日よりも寒い! モモタとココをひざに抱いても暖かいやうには感じませんでした。

 

北方謙三著 『楠木正成(下)』 を讀了。これで北方版「南北朝」のすべてを讀みました。『太平記』 までは讀めませんが、いつか挑戰したいと思ひます。 

ところで、楠木正成は「忠臣」だつたなどと戰前の育の中でたたき込まれたと聞きますが、この書によつて、忠臣とか忠義、忠誠とは何かを考へさせられました。

 

著者に言はせると、後醍醐天皇は、「暗愚であつた。…こんな人間が帝なのか、さまざまな権威に守られてはいるが、それを剥ぎ取れば、自らのことしか考えないという、愚かさだけが残る」。また、「信じられないことだが、帝とその周囲にいる廷臣の眼が、民の暮しというものにむいたことは一度もない、と正成には思えた」。つまり、忠誠を盡くしてきた天皇や朝廷が民の暮しから離れた、ばかばかしい存在であることかを、徹底して描いてゐます。 

にもかかはらず、楠木正成は、このやうな後醍醐をも血を受けた天皇として從つたわけですけれど、このことによつて正成は、忠臣であることや、忠誠をつくすことがいかにバカげたことであり、誤つたことであるかを敎へようとしてゐるのだと思ひました。

 

正成は言ひます。「朝廷そのものが、帝が、われらが思い描いた存在とは違っていた。そういうことなのだ。赤松円心は、それを見抜くとさっさと播磨へ帰った」。 

 しかし、同じ「悪党」であつた楠木正成は、それができずに從つた。その心の内になにが秘められてゐたのか、夢なのか絶望なのか、そこに楠木正成の悲劇があつた思はれるのであります。

 

忠誠心は、美しいやうですが、何に忠誠をつくすのか、それが、現體制なのか、主義主張なのか、それとも特定の人物やその思想なのか、胸に抱く夢なのか、それが人の生き方を決定づけてしまふことは確かなのでせう。ただ、馬鹿を助長するやうな忠誠だけは否定したいと思ひました!