五月十四日(月)丙午(舊三月廿九日) 晴、暑くなる

 

神田君とは、正午に、銀座敎文館の喫茶店で待ち合はせました。今朝、西宮を發つてきたわりには、いつものやうに飄々としてやつてきました。 

コーヒーを飲みながら、近況を語り合つただけですが、ぼくのはうは、口から出てくるのは悲觀的なことばかり。 

お晝は、銀座天龍で餃子ライスをいただきました。それも一人前を二人で食べ、念のために注文したやきそばは、ほとんど殘してしまひました。 

食後、銀座四丁目までもどり、彼は用事のために丸ノ内線で四谷へ、ぼくは銀座線で新橋に向かふので別れました。また近々會へることを約して。

 

新橋驛前のSL廣場では、今日から 「新橋古本まつり」 が開催。まるで散歩のやうに歩きまはりました。が、珍しく一册も求めたい本がありませんでした。 

それでもなぜ訪ねるのかといへば、古本市はつねに新しいからです。といふか、新鮮です。なぜかならば、古本漁りをするぼく自身の關心がつねに前進するからです。關心が變はれば、求める本も變はり、そのたびに古本市は新鮮な漁場となるのです。

あちこち、東京近邊の古本市まで訪ねてゐますが、時々同じ本を見かける場合があります。同じ本屋さんがあちこち出店してゐるので、賣れなければ行く先々で見かけることになるのは當然で、そのうち、ぼくの興味の範疇に入つてきたらもちろん手に取ることになるでせう。

 

それと、久しぶりにといふか、何年かぶりに秋葉原の電氣街を訪ねました。神田君が持參したノートパソコンがあまりにも輕量だつたので、びつくりするとともに、欲しくなつてしまつたからです。入院したときなどにはべんりだなあと思ひました。が、新品では目の玉が飛び出るくらゐのお値段でした。そこで、中古品店回りをしたのですが、型落ちと言ふのか、舊型でもけつこうな値段で、一應目にはとめておきました。

 

歸宅したら、ぶらぶら歩きだつたのに、一一〇〇〇歩でした。