五月十八日(水)庚戌(舊四月四日) 晴のち曇り、蒸し暑い

 

今日から三社祭がはじまるので、妻と出かける豫定でした。ところが、母をデイサービスに送り出したあと、なんだかんだしてゐるうちに妻が行かなくてもいいと言ひ出し、それでぼくひとりで出かけました。 

もちろん一人でとあらば、行先は神保町しかありません。古書會館では、古本市の初日でしたので、いつものやうに混み合ひ、みなさん熱を帶びてをられました。今日は、ですから、混み合ふ入口付近からではなく、一番奥の棚から見はじめました。

 

あちこちに和本も見られ、胸をふくらませてゐたら、そこだけがテーブルの、その上に、和本用の本箱が四つ。三つは桐で、あとのひとつは珍しいけやき作りです。しかも重たくてしつかりしてゐます。いかにも買ひさうな方が熱心に調べてゐたので、ぼくは觸はらせていただいただけですが、和本を横にしたまま収藏できる、立派なものです。しかも、それが、一つたつた五〇〇圓なのです。 

まあ、買はれてしまふだらうと、あきらめて、その場をはなれ、しばらくしてもどつたら、まだあるではありませんか。では、と欲望をかきたてまして、すぐに係を呼んで購入してしまひました。問題は、持ち歸りですが、明日自動車で取に來ることで解決。これで、今まで購入した和本がすべて納められるだらうと思ひます。 

 

だから氣が大きくなつたわけではありませんが、『日用心法鈔』 といふ和本を見つけ、内容も啓発的なのでこれも求めました(註一)。上中下の三册で一五〇〇圓。 

序の冒頭には、「世をくらすに。三ツの大事あり。勤と。正直と。慎みと也」 とありまして、今日の政治家や官僚方々にも讀ませたいと思ひました。 

といへば、だいぶ前に、『實語敎』 といふ、古びれて汚い、といふことはだいぶ使ひこなされた薄い和本を手に入れました。これがまたすごい本なのであります(註二)。

 

つまり、かつての我が國の人々は、庶民も含めて、倫理・道徳をしつかりと學んできてゐたのですね。文化の高さはその上に成り立つてゐたのです。それが今日、どうして壊れてきてしまつたのでせうか。人のせいにしてはなりませんが、人生の先輩であり、政治や經濟を擔つてゐる人々が劣化したからでせう。いや、さういふ下劣な人物を選び、責任をまかせてしまつてゐる庶民の愚かさが、今やどうしやうもなく蔓延してしまつてゐるからでせう、としか言へません。 

これらに類する書物も今日も出てゐるのでせうが、膨大な書物の陰に埋もれてしまつて、顧みられません。甘い毒水を好み、苦い良書を讀む人が少なくなればなるほど、日本人とその文化の劣化は齒止めがかからなくなるでせう。 

 

註一・・『日用心法鈔(にちようしんぽうしょう)』 壽福軒眞鏡述。文政十年(一八二七年)。心学書。日々の生活で心得るべきことを和漢の故事を引用しながら述べたもの。 

さう言へば、先日求めた、『梅園叢書』 の手島堵庵も心學の人でしたね。 

 

註二・・「實語教」 實語教は平安時代に成立し、鎌倉時代に普及した書物です。儒教色が強く、また対句構成で暗記がしやすかったため江戸時代の寺子屋の素読用教材として非常に普及しました。 

作者は弘法大師とされていますが確証はありません。福沢諭吉の「学問のススメ」にも實語教からの引用が見られたり、出だしの”山高きゆえに貴からず 木あるをもって貴しとす”の一文を捉えて”富士を見ぬ 奴がつくりし 實語教”という川柳が作られたりした面をみてもかなり普及していたようです。 

 

今日の寫眞・・古本市案内と、朝刊の切り抜き。そして、『日用心法鈔』と『實語敎』。