五月廿四(木)丙辰(舊四月十日) 

 

今日は慈惠大學病院へ通院、二か月ぶりでした。五月のはじめから調子がよくなかつたので、何度も診てもらはうかと案じてゐたのですが、心電圖の結果は良好であると言はれ、だいぶ安心しました。 

けれど、前回から、ミカ先生よりさらに若い男性醫師で、血液檢査と心電圖の結果だけで判斷するだけで、聴診器をあてるでもなく、心不全の徴候を表す値を見て、では藥を増やしませう、とまあそんな感じです。病院は好きですけれど、味氣ないといふか、親しみがうすれてきました。

 

あ、さうだ。通院前に、牛田驛から淺草に行き、修理に出してゐた眼鏡を受けとつてきたのでした。やはり、ないと不便でしたので、病院の歸りではなく、朝一で受け取り、それからの通院でした。 

地下鐡銀座線田原町驛への途中、昔なんどか訪ねた砥石屋さんを見つけ、開店まえでしたが、健在のやうなので、うれしくなりました。 

 

今日の寫眞・・雷門通りの南側、すしや通り斜め向かひに建つ、「久保田万太郎生誕の地」碑。久保田万太郎についての説明文は讀むことができますが、俳句はかすれて讀めませんでしたので、調べてみました。 

「浅草にて 万  ふるさとの 月のつゆけさ 仰ぎけり」 

それと、なつかしい田原町の砥石屋。