五月廿七日(日)己未(舊四月十三日) 

 

今日、かねてより豫定されてゐたノラネコの譲渡會が行はれました。場所は平井ださうです。妻も同席したのでしたが、歸つてくるや否や、ダメだつたの、一匹ももらひ手がみつからなかつたの、と言ふのです。と言ふことは、我が家で預かつてゐた全七匹がもどつてきたのです。さあ、どうしませう?

 

理由はいくつかありさうですが、まづ、場所がわるかつたこと。喫茶店のやうなところでしたが、通りすがりの人も入つてこれないやうなところであつたさうです。また、宣傳が十分ではなく、欲しい方はゐるはづなのに、情報がいきわたつてゐなかつたんでせうね。欲しい方がこれなくては、開いた意味もないことになります。とても殘念です。 

できれば子ネコのうちに譲りわたしたいのです。大きくなればもらひ手がなくなり、ノラに放り出すか、奇特な方が全部引き取つてくれるか、お先は闇です。

 

そもそも、この七匹の兄弟姉妹ネコは、堀切菖蒲園の園内で産まれました。ブランド猫です! 近所の方々がエサをあげてゐたノラネコが産んだのですが、堀切菖蒲園に子ネコが出没するといふ連絡を受け、〈かつねこ〉が保護しようとたちあがり、妻も何回も、開園時間前に出張つて、どうにか全員を捕獲できたのでした。 

子ネコのうちならばもらひ手が見つかるので、急いだわけですが、今日の成果はゼロ。どうしませう、と言つてゐるところです。いづれにせよ、不妊處置してから放つことになります。できれば、早くもらひ手が見つかつてほしいと願つてやみません。 

 

なんだかベッドから離れられず、寝ころんだまま、『鳥羽絵本集(一)』 を讀んですごしました。この本は、繪のはうが主ですから、言葉少なですぐ讀み終りました。ただ、分かりやすくはありません。 

例へば、川をはさんで叫びあつてゐる男たちの繪に、「ゑいや ゑいや ここへ來てみをれ」とあれば、お互ひに戰ふ恐れがない状況でのから騒ぎ、對岸の火事とも、高みの見物とも言へるでせうが、今日の寫眞のやうに、「發句ハ何とやらな 北野連んが聞はじめじや」といふのは、ちよいと教養が必要でありますね(註)。 

定價三〇〇〇圓が一〇〇圓で手に入つた珍本ですが、中身はけつこう深いです。

 

註・・室町中期から後期にかけて連歌の最盛期を形成した。なかでも宗祇は代表的な連歌師で、低い階層から連歌によって身を立て、ついには北野連歌会所奉行(北野天満宮に設けられた連歌活動を統轄する幕府の機関の長)という指導的位置につくに至った。多くの連歌作品、連歌論を残し、兼載らとともに《新撰菟玖波集》の編集に携わり、古典研究においても一家を成すに至った。…

 

今日の寫眞・・『鳥羽絵本集(一)』 本文の一例。