二〇一八年六月(水無月)一日(金)甲子(舊四月十八日) 

 

今日も散歩とお勉強をかねて、古本市をめぐり歩いてきました。ただし今日は、神田の東京古書會館と、高圓寺の西部古書會館の二か所でした。毎度毎度珍しい古本を見て回るだけでも勉強になりますが、やはり、ほしいものに出會つてしまふと、どうしても手に取らざるを得ません。

 

まづ目についたのが、『貧人太平記』 といふ和本です。と言つても復刻版で、三田村鳶魚さんの解説つきです。作者は未詳、西鶴の 『好色一代男』 に遅れること七年、元禄元年(一六八八年)に開版された浮世草子であります。内容は、凶作のために大阪に救ひを求めてきた乞食たちと、もともと「大阪に在る非人等」との、「二個月に亙る乞食の爭闘」ださうです。弱いものどうしが爭はなければならないのは、今も昔も變はらないのでせうが、情けなくなります。讀んでみたいと思ひます。

 

それと、岡田鯱彦著 『源氏物語殺人事件』(旺文社文庫) です。當たりか外れか、まあ三五〇でしたので買ひましたが、これが大當たりでした。はじめて見る著者の名前ですが、この方は國文學者ださうで、後しばらくは推理作家と二股をかけてゐたやうなのであります。 

序文にあたる「前書 一千年前の探偵小説」を讀んで、これは面白いと思ひ、第一章に入ろうとしたら、いきなり 『源氏物語』 の世界なのであります。内容は「宇治十帖」です。つまり、「宇治十帖」を下敷きといふか土臺にしてゐるので、それを讀んでゐなければついていけないことに氣がつきました。で、讀み終へるそのときまでお預けにしておくことにしました。殘念ですが。

 

さらに手に取つてしまつたのが、橋本不美男著 『原典をめざして―古典文学のための書誌』(笠間書院) です。〈一 はじめに〉 かうありました。 

「作品を“読む”ということは、すなわち、作品を一応成立時点に引きもどし、その上で、“正しく理解し鑑賞する”という解釈作業(判断)を行うことである。従って、・・・“読む”ことのためには、理想的にいえば、その作品の原本を探し出して、それをテキストにして読むのが最良である」

 

かう言つちやあなんですが、くづし字の原文で日本文學を讀み通そうなどと計かつ實行してゐるぼくにとつちやあ、最良の助言といふか、勵ましのお言葉ですね。 

〈二 古典作品の原典復原─『土佐日記』の場合〉 と題した次の章がまた刺激的かつ魅力的で、手持ちの 影印本の 『土佐日記』 四種を出してきて、照らし合はせながら讀んだものですから、「かくして『土佐日記』は、古典作品の稀有の例として、ほぼ一〇〇パーセント原典に遡源し得た」と知つて、その「ほぼ一〇〇パーセント原典に遡源し得た」といふ、「青谿書屋本(為家本)」の 『土佐日記』(新典社)でもう一度讀んでみたくなりました。 

すると、この時に合はせたやうに、メールで、アマゾンから、小松英雄先生の「新商品」と題して、「おすすめの小松英雄の新商品がまもなく発売 『土左日記を読みなおす: 屈折した表現の理解のために』 」と送られてきたのです。発売日は、61日。つまり、今日です。 

内容は、「表現に隠された謎に迫る著者渾身の一冊! きわめて特異な、屈折した表現に満ちた『土左日記』。筆記テキストを徹底的に理解しようとする文献学的アプローチによって、その表現を読み解き、貫之がなぜそのような表現を使ったのか─使わざるをえなかったのかを解明する」。でも、¥ 2,592ですからね、古本になるまで待ちませうか? 

 

今日の寫眞・・『貧人太平記』、『源氏物語殺人事件』 と 『原典をめざして』