六月三日(日)丙寅(舊四月廿日) 晴、風さはやか

 

『枕草子』、『枕草子のたくらみ』 の「第五章 季節に寄せる思い」であげられた章段以外の二十四段を讀みました。「冬は」とか、「雪のいと高くはあらで」とか、「野分のまたの日こそ」、「五月の菖蒲の」とか、季節を感じさせる章段です。でも、自分勝手に選びましたから、内容が季節とは關係ないのもありました。が、いづれにせよ、ジグソーパズルのやうにして、すべてを讀みくせばいいわけです。

 

この章で敎へられたのは、「年中行事は自然そのものではなく、それを人間が取り入れて楽しむ、生活のお洒落である。そのお洒落を忘れないことが雅びなのだ。その雅びこそが定子サロンの標榜する王朝文化の旗印であった」 といふところです。 

これは、平安王朝および、それ以前以後を通して言へることでせうが、自然を取り入れ、自然、いや季節と言ひかへてもいいと思ひますが、その移り變はりとともに生きてゆこうとしたところに、日本獨自の文化が築き上げられてきたんですね。怨靈を御靈と言ひかへて守り神にしてしまふ王朝人ですから、猛威をふるふ自然を樂しんでしまふことなど御お手の物だつたに違ひありません。

 

ところで、たいへん刺激的だつたのは、淸少納言と紫式部の關係です。「雪と月は不釣り合い」かどうかといふことに關して、詳細は省きますが、山本淳子先生、つぎのやうにおつしやつてをられるのであります。 

「『枕草子』 と 『源氏物語』 では、『枕草子』 のほうが時代的に先行する作品だと見られがちだが、・・・むしろ確実なのは、二つの作品には、両方が並んで書かれた時期があったということだ。とすれば、『枕草子』 を受けて 『源氏物語』 が書かれただけでなく、『源氏物語』 の言葉に触発されて、『枕草子』 が応えたという可能性も否定できない。 

紫式部と淸少納言といえば、『紫式部日記』 の記す感情的な記事がどうしても表に立ってしまう。しかし、作品の中では、対抗し高め合う、いわば切磋琢磨の関係もあったのではないだろうか。」 

「その考えは、二人の才女と二つの作品の関係について、これまでにない新しい見方を拓くことだろう」、と結んでゐるのですが、ぼくもさう思ひます。

 

つづいて、「第六章 変転」です。

 

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