六月六日(水)己巳(舊四月廿三日・芒種 曇りのち雨

 

今日は、くづし字三昧といふか、あれこれ書寫した人物も時代も異なつた三種類の本を讀みかじりました。 

一册は 『枕草子』。二册目は 『筑波問答』、三册目は 『竹斎(下)』 です。

 

『竹斎』 は上卷に引きつづいて、そろそろ讀みはじめようと思ひたつたからです。藪醫者竹齋が東海道をくだつてきて、名古屋でひと腰据えたところのできごとです。おこりにかかつた病者を癒し、眼に金屑が入つた鍛冶屋の患者には、磁石を張り付けて取り除いてあげたり、まことに面白い内容なのでついつい五、六頁。

 

『筑波問答』 は、漢字が多くて初見はわからなくても、何度も出てくると覺えてしまへるので、古文書の勉強にもなります。ただ、内容が難しくて連歌の勉強とまでいかないのがくやしい。全八十二ページのうち、それでも四十ページまで讀み進みました。 

 

それと 『枕草子』 です。『枕草子のたくらみ』 の「第8章政変の中で」であげられた章段を讀みました。そこで感じたのは、本書であげられてゐる章段とぼくがテキストとしてゐる能因本とでは、章段數が異なるので、ときどき頭がこんがらがつてしまふことです。一つの章段が、能因本では二つの章段に分かれてゐたり、だから、文頭の言葉がかせないのでせうが、いちいち 「一〇八段 淑景舎春宮にまゐり給ふほどの事など」 と書かなければならないなんて、これでは 『枕草子』 の研究は進まないと思ひました。餘分な力をそそがなければならないのですから、ぼくのやうに、もう生きる力が衰えてきたものにとつては酷といふものです! (つづく)