六月九日(土)丙寅(舊四月廿日) 晴、暑い

 

昨日の日記のついでに、昔の 『讀書記録』を開いて見たと言ひましたが、その前後もふくめて以後もずつとずつと、日本の古典文學や歴史ものには關心はなく、まつたく讀んだ形跡がありません。もつとも、時代小説は浴びるほど讀んでゐましたが、それが、今ではずぶずぶに浸りきつてゐます。還暦を迎へたころからでせうね。

 

薪ストーブのそばで、鹽を作りながら、『保元物語』 と 『平治物語』 を岩波文庫で讀んだのがきつかけだつたかと思ひます。つづいて、平家物語を再讀し、『承久記』、『義経記』、『曽我物語』、『日本靈異記』、そして 『三寶繪詞』、『將門記』、『水鏡』 を讀んだところで、それなら、日本の歴史書や文學の初めから讀んでやらうなどといふ壮大な計畫をたてたのでありました。それが、二〇〇九年のお正月から初夏にかけて。そしてその夏からです、吉川弘文館の「新訂増補・國史大系」に取り組みはじめたのは。 

『日本書紀』 からはじまる「六國史」です。その「六國史」はすべて、「変体漢文」とはいへ漢文です。そこで、何册もある文法書のなかから、江連隆著 『チャート式基礎からの漢文』 を熟讀して基礎固めをいたしました。まるで、受生のやうでした。

 

『讀書記録』の二〇〇九年八月廿日には、『日本書紀 前篇』 を讀み終へたとき、「卷第三武より、ほぼ一字一句を追ひながら讀み通す!」と記してゐます。さう、前半の卷第一と第二の神話部分を省いて讀みはじめたのでありました。『古事記』 を讀んでゐましたし、その複雜な内容のためにはじめから躓かないためとわりきりました。 

そして、十一月には 『日本書紀 後篇』 を、次の年の六月に 『續日本紀 前篇』 を讀み、ついに、二〇一二年十一月廿八日に 『日本三代實録 後篇』 を讀み上げたのでありました。つづいて、『日本紀略』、これは二〇一七年十一月廿八日に、「約五年かかつて讀了!」などと、まつたく氣の長い讀書ではあつたのであります。

 

このことは、後の、中仙道を踏破したのと並んで、ぼくの人生の記念すべき足跡となりました。そして、その中仙道の旅をはじめたころ、くづし字に開眼し、 『竹取物語』を皮切りに、くづし字で書かれた古典文學を最初から讀み始めたのでありました。このやうに、讀書は、ぼくにとつては、長く嚴しく、また樂しい旅そのものであると言つていいでせう。 

それと、忘れてはならないのが、『歴史紀行』の執筆です。「六國史」の流れにあはせて現地をたどる旅をはじめたのでした。中仙道の旅もあはせて、六十七册にもなりました。「六國史」をどのやうに讀んできたかの證でもあります。

 

けれども、なんと言つても、學生時代の讀書がぼくの生き方、物の考へ方を形作つてくれたことは間違ひありません。この時代、エーリッヒ・フロムをよく讀んでゐますが、これなんか、今の時代を考へるにあたつて決して古びても時代遅れでもありません。力に迎合する輩が多いなかで、我ここに立つ、と言へる人が多く育つてほしい。 

そので、昨日知つた、是枝監督の發言なんか注目したいですね。 

 

*《林文科相、カンヌ最高賞で祝意を 是枝監督は辞退表明》 フランスで先月開かれた第71回カンヌ国際映画祭で、「万引き家族」が最高賞「パルムドール」を受賞した是枝裕和監督に対し、林芳正文部科学相が文科省に招いて祝意を伝える考えを示したところ、是枝監督が自身のホームページに、「公権力とは潔く距離を保つ」と記して辞退を表明した。 

是枝監督は、「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、公権力とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないか」とつづった」。 

この言葉、「公権力」に胡麻をする能人やスポーツ選手はどう受けとめただらうか? 聞いてみたい!