六月十六日(土)己卯(舊五月三日) 曇天

 

今日は散歩日にして、神保町の東京古書會館と古書店街を見て歩いてきました。いつ雨が落ちてくるか心配になるほどで、散歩日和とは言へませんでしたが、そのかはり、いままでの古本市めぐりが報はれるやうな大發見がありました。掘出し物であることは間違ひありません。

 

それは、『新約聖書約翰傳』 です。和本であり、文字がくづし字(變體假名)なんです。さう、『約翰傳』 は、ヨハネ傳と讀みます。新約聖書の第四音書ですね。ぼくは、想像といふか、待望する氣持ちで、くづし字で書かれた(翻譯されて印刷された)聖書の和本があるのではないかと探しつづけてゐたのです。もちろんくづし字が讀めるやうになつてきたからならではの願望でありますが、今日みごとに探し當てることができました(註)。

 

ただし、高でした。目ざとく出品した店の方がそばにやつてきて、珍しい本なんですよ、きれいでせうなどと言ひながら、そばにあつた 『義士銘々傳』 やら 『平家物語』 など、まけるから買はないかといふのです。こんなこと言われたのはじめてで、なんだか、見つけた喜びと興奮がさめてしまひました。まあ、たしかにね、めつたに手に取る人がゐなかつたのでせう。昨日も開かれてゐたのに賣れないであつたのがその證據かも知れません。

 

それでも、そのほかにもとめた數册の和本を胸に、喜びを秘めながら、例の〈小諸そば 駿河台店〉でかき揚げせいろを食べ、それから八木書店を訪ねました。二階にあがり、いつもの靑年に、『新約聖書約翰傳』 を探し出した顛末をひとくだり。ただお店の邪魔になつただけではいけないので、例の廉價本コーナーへ足を運ぶと、超廉價ともいへる、中野三敏先生の 『江戸狂者傳』 が目にはいり即買ひ求めましたです。はい。 

 

註・・『新約聖書約翰傳』 ヘボン、ブラウンらによつて、まだ禁敎下であった一八七二年(明治五年)に、『新約聖書馬可(マコ)傳』 とともに出版されてゐます。 

ところで、ネットで、この ヘボン・ブラウン譯 『新約聖書約翰傳』 を調べたら、なんと、僕が購入したのと同じ現物が、母校の關西學院大學にあることがわかりました。そこには、かうありました。しかも、解説を書いてゐるのが、田淵君ではないですか! 

 

書名 新約聖書約翰傳   著者名 Hepburn, J. C. (James Curtis) 訳

出版年 1872(明治5) 

配架場所 上ケ原特別文庫 請求記号 080:M-312 

解説 幕末から明治初期にかけての聖書の和訳にあたっては、どのような日本語に訳されるべきかが大きな問題であった。禁教令下のパイオニア的翻訳には俗語や方言によるものがあり、他方漢文調のものもあり、教会公用にふさわしい日本語の決定が大きな課題であった。その議論の指導的役割を果たしたのが、アメリカ人宣教師のヘボン(ヘップバーン)とブラウンであった。ヘボンは1859(安政6)年の来日直後から最初は漢訳聖書からの和訳を試みていたが、その後この二人の協力によって英文を軸として原典からの日本語訳を試みた。まず私訳で新約のいくつかの文書を和訳し、その後翻訳委員会の中心的人物として新約全書翻訳作業を推進した。これはその最初のものとして1872(明治5)年に出版された『約翰傳福音書』(ヨハネによる福音書)で、「東京住吉町二丁目稲葉儀平」(実際は横浜の治平衛)が版木を作成した。 (文学部教授 田淵 結) 

 

今日の寫眞・・江戸狂者傳』 と 『新約聖書約翰傳』。それと、『約翰傳』 の第一頁。 

鉄腕アトムとひげおやじは、昨日のおまけ。