六月十七日(日)庚辰(舊五月四日) 曇天

 

今日の讀書。まづ、寢ころびながら、柴田錬三郎著 『剣魔稲妻刀』(新潮文庫) を讀み終らせました。これも短編集でしたので、毎日一つ二つと讀んできたものです。くづし字ばかり讀んでゐると、どこかでストレスをかかへ込んでしまひかねないので、ずつとさうであつたやうに、氣晴らしの讀書は缺かせません。もちろんこちらのはうが面白いし、ずつと讀んでゐたいといふ誘惑はつねにつきまとつてゐます。 

 

それから、「竹齋」のつづきものの 繪入 竹齋狂哥物語 下』 を讀み終らせました。「竹齋都へ上る事 付道中紀行」とあるので、期待がもてさうでしたが、富山道冶著 『竹齋』 にくらべたら、道中記なんてものではありませんでした。ただ、いくつか面白いエピソードに遭遇しました。その一つが、ある地藏にまつはる一休さんの話です。といつても、話として出てくるだけですが、これが一休さんらしいので書いておきませう。

 

東海道亀山宿を過ぎたところのある村で、「むかしこのところでゑやみ(疫病)がこよなうはやり侍りしに」、村人が地藏に祈ると、「あづまのかたより來る沙門にたのみきこえよ」との夢のおつげがあつたと思つてください。さつそく、そこにやつてきた一人の僧にたのんだところが、「この僧、供養とて、とくひこん(ふんどし)をとき、地藏のかほをなでしに」、里人はびつくり。すぐに淸水で洗いきよめましたが、そののち、その僧が、「紫野の一休とて名僧なる」ことを知るといふはなしです。 

 

これで、くづし字の本も、『枕草子』 に絞つて讀めるなと思ひました。ところが、突然の一休さんです。書棚を見わたせば、『筑波問答』 と同じ和泉書院影印叢刊の、『目なし草 一休水鏡注全』 といふのがこちらを窺つて、いつまで待たせるのといふが聞こえてきさうです。で、手に取つたのが運のつき。 

解説によれば、「『目なし草 一休水鏡注全』は、一休宗純の法語と伝えられる。編者は未詳であるが、序文・注釈・注歌・跋文が記されている。一休の法語は一休研究中の中でも看過されがちな分野であるが、法語文学の展開としても注目される書物である」。とあり、さらに、本書は、「『仮名法語』、『一休骸骨』 とともに、室町時代から近世にかけて広く愛読されたもののようである」とのこと。この 『一休骸骨』 もすでに入手済みですので、いづれ挑戦いたしませう。 

 

讀書の旅(二)・・・入院と退院を繰り返してゐた療養中も本を讀んではゐましたが、一年落第して入學した中學生と高校生の時代には本を讀んだ記憶がほとんどありません。でも、弟と一緒の部屋の片隅に大きな本棚があり、本がつまつてゐましたから、まつたく讀んでゐなかつたわけではなささうです。 

さう言へば、この頃です。岩波文庫を我が家で見いだしたのは。それが、父のものだつたのか、祖父のものだつたのかがはつきりしないのですが、夏目漱石の 『草枕』 や 『行人』、幸田露伴の 『五重塔』 などと、『徒然草』 に 『良寛詩集』。この二册はぼくの座右の書となつて、いまなほ手にとどくところに座ましましてをります。これらは大學に入つてからも讀みつづけましたが、高校生の時代から讀んでゐたと思はれます。 

また、いつ讀んだかわからないとはいへ、やはりもとから家にあつたのが黒岩涙香。春陽堂文庫で十一タイトルあります。みな昭和十年前後の出版です。ぼくが面白く讀んだのは、『山と水』 と 『捨小舟』 に 『島の娘』 などでしたでせうか。他にもちろん有名な、『岩窟王』、『鐵仮面』 もあります。 

それと、思ひ出したついでにですが、父が早川ミステリー(新書版)をたくさん所藏してをり、ときどき出しては讀んだことがありました。また、父は春陽文庫の山手樹一郎を讀んでゐましたが、ぼくの好みではなかつたのでせう。手をだしたことはありませんでした。 

さらにつけ加へれば、高校生のころ、『ゴリラとピグミーの森』 とか、『ゴリラの森』 とかいつたものを讀んだ記憶はあります。どんな理由があつてなのかはおぼえてをりません。興味のままに讀んだのでせう。 

以上は、記録がなく、記憶も定かでないころの讀書についてでした。 

 

今日の寫眞・・黒岩涙香の春陽堂文庫と、繪入 竹齋狂哥物語 下』 でとりあげた、一休さん登場の部分。