六月日(土)癸巳(舊五月十七日) 晴、猛暑

 

梅雨が明けたと思つたら、靑く澄んだ空にすじ雲が流れ、秋のやうな模様になりました。いくらなんでも早いのではないのと思ひましたが、たしかに氣温は高く、猛暑の一日でした。 

それでも出かけました。今日こそは柿島屋攻略です。馬刺しを食べて、暑さを乘り越えなければなりません。それで、まづ、東京古書會館に寄り道、次いで西部古書會館を訪ねました。が、ぼくの目にとまつたのはたつた三册のみ。『ぢざうわさん』(二百圓)と、『歌に執する人びと』(百五十圓)と、『松本健一講演集 維れ新たなり』(三百圓)です。 

そして、町田の柿島屋で馬刺し(上)をいただいて歸つてきました。八〇〇〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・東京古書會館前から見た虹と、今日求めた本。『ぢざうわさん』(二百圓)と、それに、眞福寺の 「西院河原地藏和讃」 です。 

このうちの 『ぢざうわさん』 は印刷年代不詳、こより綴じの册子で、全七丁の和本とも言へないものですが、ちよいと調べたら面白いことがわかりました。ぼくが知つてゐるものと違つてゐたからです。

 

二〇一五年正月七日に、《石橋山古戰場探訪》 のツアーに出かけました。その途中の眞福寺といふお寺に 「西院河原(さいのかわら)地藏和讃」 が掲げられてゐたのですが、その歌詞は、寫眞のごとく、先立つた子が親を悲しませたといつて賽(西院)の河原で苦しめられる内容のものでした。親を悲しませることが罪であるといふ思想ですが、寫眞の掲示はほんのさわりですので、中ほどにある歌詞を書いてみます。 

 

娑婆に残りし父母は 今日は初七日、二七日 四十九日や百箇日 

追善供養のその暇に ただ明け暮れに汝らの 

形見に残せし手遊びの 太鼓人形風車 着物を見ては泣き嘆き 

達者な子供を見るにつけ なぜに我が子は死んだかと 

酷や可哀や不憫やと 親の嘆きは汝らの 責め苦を受くる種となる 

 

だから覺悟せよと地獄の鬼が現れて、金棒振り上げて子を責め立てます。そこにお地藏さんが現れるといふ、先立つた子の親としてはすがりつきたい救ひ主です。 

 

娑婆の親には会えぬとぞ 今日より後は我をこそ 冥土の親と思うべし 

幼き者を御衣の袖やたもとに抱き入れて 哀れみたまうぞ有難や 

いまだ歩まぬみどりごも 錫杖の柄に取り付かせ 

忍辱慈悲の御肌に 泣く幼子も抱き上げ なでさすりては地蔵尊

 

熱き恵みの御涙 袈裟や衣にしたりつつ 助けたまうぞ有難や 

大慈大悲の深きとて 地蔵菩薩にしくはなく 

これを思えば皆人よ 子を先立てし人々は 悲しく思えば西へ行き 

残る我が身も今しばし 命の終るその時は 

同じはちすのうてなにて 導き給え地蔵尊 両手を合して願うなり

 

ところが、ぼくが今日もとめた 『ぢざうわさん』 にはかうあります。 

 

無間(むけん)焦熱(しょうねつ)大叫喚(だいきょうかん) 

名を聞くだにも恐れあり 

(まさ)しく魂(たましい)(ひと)りゆき 

(ほのお)に入らん悲しさよ 

 

娑婆(しゃば)にて慈悲の名號(みょうごう) 

(ひと)(たび)唱ふる功力(くりき)にて 

(ごう)にひかるる魂魄(こんぱく) 

導びきたまへ地藏尊 

 

ここでは、獨りゆく魂の救ひ主として現れてゐます。同じ和讃でも歌詞にはいくつものバージョンがあるやうです。歴史紀行でも書きましたが、地藏菩薩が歴史的に現れるのは、平安時代以前ですが、庶民の救ひ主として浸透していくのは鎌倉時代だつたやうです。詳しくは、『歴史紀行 十三 中仙道を行く(三) 蕨宿~大宮宿』 參照のこと。 

 

このやうに、和讃は、七五調風に句を重ねてゐますが、これは親鸞が四句一章としたといふことです。親鸞にも、「三帖和讃」とよばれる、『淨土和讃』、『高僧和讃』、『正像末淨土和讃』 があります。 

 

註・・釈迦がこの世を去ってから、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間を無仏の時代といい、56億7000万年間続きます。この無仏の時代を守り、衆生(人々)を救って悟りの境地にみちびいてくれるのが、地蔵菩薩です。 

地蔵は、六道で苦しむ衆生を教化・救済する菩薩であり、日本では平安時代から広く信仰されるようになりました。一般的には左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。また、その姿は頭を丸めた僧の形をしています。六道の救済に当たることから、六地蔵の信仰が生まれました。

 



 

*六月一日~卅日までの讀書記録

 

六月三日 藤沢周平著 『喜多川歌麿女絵草紙』 (文春文庫) 

六月五日 黒川博行著 『ドアの向こうに』 (創元推理文庫) 

六月十日 柴田錬三郎著 『一の太刀』 (新潮文庫) 

六月十一日 富山道冶著 『竹齋 下』 (近世文藝資料『竹斎物語集』所収) 

六月十二日 著者不詳 繪入 竹齋狂哥物語 上』 (同右) 

六月十四日 著者不詳 繪入 竹齋狂哥物語 中』 (同右) 

六月十四日 二條良基著 『筑波問答』 (和泉書院影印叢刊⑱) 

六月十七日 柴田錬三郎著 『剣魔稲妻刀』 (新潮文庫) 

六月十七日 著者不詳 繪入 竹齋狂哥物語 下』 (近世文藝資料『竹斎物語集』所収) 

六月廿一日 山本淳子著 『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』 (朝日選書) 

六月廿四日 岩瀬良子著 『枕草子』日記的章段における一考察」 (『枕草子探究 第二輯』 昭和五十六年度 二松学舎大学雨海研究室) 

六月廿四日 淸少納言 松浦貞俊・石田穣二訳注 『枕草子 上卷 附 現代語訳』 (角川文庫) 

六月廿六日 淸少納言 松浦貞俊・石田穣二訳注 『枕草子 下卷 附 現代語訳』 (角川文庫) 

六月廿六日 淸少納言 『能因本 枕草子 上下』 (笠間影印叢刊) 

六月廿八日 L・A・モース著 『オールド・ディック』 (ハヤカワ・ミステリー文庫) 

六月卅日 『ぢざうわさん』 (年代不詳、こより綴じの册子、全七丁)