九月二日(日)丁酉(舊七月廿三日) 曇天、一時大雨

 

谷崎潤一郎の 「戀愛及び色情」 を讀んで正解でした。逢瀨を重ね、「實事」をくりかえしてきたのに、「相手の顔も知らないままに通ひつづけ」られたのかといふ、光源氏と末摘花の最大の謎について、それが、「当時は普通であつた」、といふご解答でした。

 

「平安朝の貴族の間では、此れが實に普通であつた。女は文字通り『深窓の佳人』で、翠帳紅閨の奥に垂れこめてをり、その上當時の採光の惡い家の中では、晝間でさへもうすぐらいのに、まして燈火の灯かげの鈍い夜であつては、一と間のうちに鼻をつき合はせても容易に見分けが附かなかつたことが想像せられる。つまりさう云ふ暗い奥の方に、几帳だの御簾だのと云ふ幾重の帳(とばり)をすゑて、そのかげにひつそり生きてゐたのであるから、男の感覺に觸れる女と云ふものはただ衣ずれの音であり、焚きしめた香の匂であり、餘程接近したとしても、手さぐりの肌ざはりであり、丈なす髪の瀧津瀨であつたに過ぎない」

 

谷崎潤一郎先生が言ひたいのは、西洋人が、女の「容貌美、肉體美」に關心をおき、「抱擁するよりも、より多く見るに適したもの」であるのに對して、日本人は、「暗い中で、かすかなる聲を聞き、衣の香を嗅ぎ、髪の毛に觸れ、なまめかしい肌ざわりを手さぐりで感じ、而も夜が明ければ何處かへ消えてしまふところのそれらのものを、女だと思つてゐたであらう」、とおつしやつてゐるのであります。

 

ぼくは、喘ぐ聲を聞くことも、焚きしめた衣の香を嗅ぐことも、丈なす髪にも、なめらかな肌にも手さぐりした經驗がないのがくやしいのですが、でも、このやうな逢瀬では、戀愛は成り立たないでせうに。まあ、このことは、『源氏物語』 を讀むうへで貴重なご意見だとは思ひます。